18年1月6日 その3788『逢坂誠二の徒然日記』(5485)

掲載日:2018.01.06

函館の夜明け前、
時折はらはらと雪が舞うが、
積もるほどの雪ではない。

穏やかな朝だ。

気温は氷点下2度程度。

日中は零度を超えるかもしれない。


1)新年の行事

初セリ、出初式、新年会など、
新年の行事が本格化している。

昨日も色々な場所にお邪魔し、
多くの皆さんにご挨拶をさせて頂いている。


新年行事は、一年の出発点として、
あるいは物事の区切りとして
重要なものだと感ずる。

だからどの行事にも、
ある種の敬虔さを持って出席している。

一方、いわゆる正月の雰囲気、
その薄れの早さも痛感している。

子どものころは、
あらゆる場面で正月の特殊さ特別さが、
最低でも2週間ほど継続したような印象がある。

しかし今は、正月三ヶ日も過ぎれば、
正月気分は一瞬に吹き飛んでしまう。

日常生活の余裕のなさ、
慌ただしさの現れなのだろうと思うが、
私たちは何か大事なものを失っているのだと思う。


2)教育とは

以前から教育のあり方に、様々な懸念を感じている。

平たく言えば、試験中心主義への懸念だ。

試験、つまり数値化できないものは、
教育の効果、成果とはみなされない側面が極めて強い。

日常の試験、中間試験、期末試験、
学力テスト、入学試験など
関門ごとに設置されたこれら試験を高得点で通過することが、
学力の証しだとされるのが現状だ。

こうした試験に対応する能力を高めることは、
自分の経験に照らし合わせても、
真にものを考えたり、
問題を解決したりする力を養うことと
一致するとは思われない。

試験を乗り越えることだけを目的にすれば、
考える力よりも別の技術を身に付けたほうが、
効率的に高得点を得られることが多い。

全国で実施されている全国学力テストの
自治体ごと点数の優劣が話題になることが多い。

このテストの点数が低ければ、
当該自治体の教育委員会などは批判される。

確かにこのテストは、
学力の一面を表すものであることは否定しない。

そこで何とか点数を向上させるため、
過去問を繰り返し実施するなどの対策を講ずる。

その結果、高得点をとなれば評価される。

しかしこれは真の学力を高めたことになるのだろうか。

試験の点数が高いことは悪ことではない。

しかし試験の点数の高いことが、
真の学力とは一致しないことを
もっと重視すべきではないか。

試験の点数を高めるために
過去問を繰り返すことなどの試験技術の工夫や努力が、
逆に考える力を奪っているのではないか。

大学入試を頂点とした教育のあり方が、
日本の教育の一つの側面だ。

しかし大学入学が教育のゴールではない。

人としてもっと多様な力を
身につける教育への転換が必要なのだと思う。

今年も、引き続き今後の教育のあり方を考えてみたい。


さあ今日もブレずに曲げずに、       
確実に前進します。
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     2018.1.6=======



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