20年6月16日 その4680『逢坂誠二 の徒然日記』(6377)

掲載日:2020.06.16

昨夕、河野防衛大臣が、
イージス・アショア配備計画のプロセス停止を
秋田、山口両県知事に電話で
15日に伝えたとのニュースが入ってきました。

「配備計画プロセスの停止??」とは、
何とも分かり難い表現で、一体何を言いたいのか分かりません。

河野大臣が言葉として明確言ったのかどうか分かりませんが。
事実上の配備計画の撤回ということになるようです。

ミサイルから切り離されるブースターを
住民への被害が無いよう演習地内に落下させる予定でしたが、
それができないことが理由のようです。

詳細には次の理由です。

*ブースターの制御がソフトウエアの改修で対応できない
*ハードウエアの改修が必要
*開発にさらに十年以上、数千億円の費用が想定される

しかし今さら何を言っているんだとの印象です。

国会でも繰り返し導入中止を求めてきましたが、
それを突っぱねて来たのは安倍総理です。

今後、米国との違約金交渉も必要になるでしょう。

安易にこの導入を決め、強引に進めて来た総理からは
十分な説明を聞く必要があります。

コロナだけではなく、この問題に限った集中審議は必須です。

そのためにも国会を閉じてはなりません。

#国会延長を求めます

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先週12日は、大平正芳元首相の40回目の命日でした。

1980年6月、大学2年の私は教養課程にいました。

秋の学部移行を前にして、
どの学部に進むのかを腐心していた時期です。

高校時代は、物理と地学に力を入れ、
将来は地球物理の勉強をしたいと思っていました。

地学には一定の自信があったため、
浪人中は、友人からもらった生物の教科書を読み、
結局、物理と生物で受験しました。

研究職になるためには、
幅広い基礎知識が必要だと考えていたため、
あえて生物を選択したのです。

教養課程では、
自然科学概論からアメリカ文学、中国文学、統計学、生物、化学など、
色々な科目を好きなように勉強できます。

自由な雰囲気が私にはぴったりでした。

将来は、免疫関連の研究職に就きたいそう思い始めたのが、
40年前の初夏だったのかもしれません。

そんな中での衆参ダブル選挙、大平正芳さんの死去。

自分が政治家になるつもりは、さらさらありませんでしたが、
あの1980年の初夏のことは良く覚えています。

大平さんは、鈍牛と呼ばれ、
あまり見栄えのしない総理だと私も感じていました。

しかし亡くなってから色々と勉強をしてみると、
本当に優れた人物だったことが、
政治を避けていた私にも理解できました。

大平正芳さんは9つの政策研究グループを立ち上げ、
将来の日本のための政策を幅広に追求していたのです。

1. 田園都市国家構想
2. 対外経済政策
3. 多元社会の生活関心
4. 環太平洋連帯
5. 家庭基盤充実
6. 総合安全保障
7. 文化の時代
8. 文化の時代の経済運営
9. 科学技術の史的展開

私はこの政策研究のような地に足のついた取り組みが、
今の日本にこそ必要だと思っています。

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昨日、テレビにも良く出演している
有名な政治ジャーナリストと話をしました。

「政調会長には申し訳ないが、政策で政治は動かない」
「全く同感です。しかし政策のない政治はあり得ません」

本題ではありませんでしたが、こんなやり取りがありました。

大平さんの生き様を勉強していると、このことが良く分かります。




今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2020.6.16===



One Response to 20年6月16日 その4680『逢坂誠二 の徒然日記』(6377)

  1. うらべひでひこ says:

    こんちは。
    教養課程の自然科学概論、もしかして、岡不二太郎先生でしょうか?
    実り豊かな講義でした。以来、数十年、科学哲学や科学思想史に興味を
    持ち続けています。岡先生の講義は、近代というものを科学の世界から
    読み解く良いきっかけを与えてくれました。

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