20年10月9日 その4795『逢坂誠二 の徒然日記』(6492)

掲載日:2020.10.09

高レベル放射性廃棄物の最終処分場選定を巡り、
寿都町と神恵内村が第1段階となる
文献調査に応じる方針を表明しました。

全く理解できない決断です。

今回の決定には、様々な問題がありますが、
近隣自治体との調整も全く行われていません。

最終処分場設置の影響が広範囲に及ぶため
単独自治体で決められるものではありません。

今回の決定の中で、
最終処分場の内容を十分に議論したのでしょうか。

最終処分場を本気で誘致する決意で決定したのでしょうか。

眼目は20億円だったのではないでしょうか。

処分場の内容、地域への影響などを確実に把握議論して、
最終判断するのが当たり前のことです。

しかしそれを阻害するのが、地域のへの多額の交付金です。

処分場のそのものの是非の議論が、
多額の交付金によってかき消されるのです。

各地の原発議論もこの繰り返しでした。

当初は反対、だが交付金は魅力的、
最終的には受け入れは地域振興につながる、
多くの地域はこんな雰囲気で受け入れを決めています。
(経過がいまだに分からない不透明なものも多くあるようですが。)

最終処分場に限らず、原発関連施設整備の問題は、
つねに多額の交付金がセットになっていることです。

原発関連施設やその政策の是非を厳しく判断した上で、
受け入れ判断を行うのが本来のあり方です。

ところが多額の交付金が
「是非の厳しい判断」を歪めてしまうのです。

自治体が財政難に喘いでいることは、
私自身も痛いほどよく分かります。

20億円が魅力的なことも理解できます。

各地の例を見ていると、
この20億円をはじめとする多額の交付金によって
将来、地域が大きな代償を払うことになることは否定できません。

子どもたちに負の遺産を残さない
などと言われることがあります。

私は、今、この言葉の大切さを実感しています。

以下は、泊原発の決定の主な経過です。

1967(昭和42):
北海道が泊村、島牧村、浜益村の3村を
原子力発電所建設予定調査地点候補地として選定発表

1969年(昭和44)年:
北海道、札幌通商産業局、北海道電力の三者協議で、
北海道初の原子力発電所の建設予定地が共和・泊地区に決定

1978(昭和53)年:
最終的に地元町村長が建設に同意

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こんな経過で泊原発の建設が決まっています。

私が小学校2年から高校卒業後の
浪人時代にかけて建設が決まったのです。

私はこの議論に入り込む余地はありませんでした。

当時の大人が決めたのです。

当時の大人の多くは他界しているでしょう。

今の私たちは、この決定に口を挟むことはできません。

使用済み核燃料の処理のことも決めずに、
原発の建設を開始、稼働したことによって、
今、私たちは苦しめられているのです。

まさに負の遺産を残されてしまったのです。

決定をした大人たちを
いまさら恨んでも何の意味もありません。

今、私たちができることは、
子どもたちに負の遺産を残さないことです。

原発を稼働し、核燃料サイクルを続ける限り、
処分できない核のごみは発生し続けます。

エネルギー政策を根本から見直して、
原発に依存しない自然エネルギーを基本とする、
新しい社会へと舵を切ることです。

これが子どもたちへの遺産づくりとなるのです。

今回の両自治体の判断は、
これとは真逆のことに見えます。

「今だけ、自分だけ、金だけ」から脱却せねばなりません。





今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2020.10.9===



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