2月3日 その1992『逢坂誠二の徒然日記』

掲載日:2013.02.03



本日、札幌市内で講演のため、

昨夕、函館からJRで札幌入りした。



昨夜遅く、釧路・根室など広い範囲で、

震度5強の地震があった。



私は、早めに布団に入ったため、

揺れているとの記憶があったものの、

そのまま寝てしまったようだ。



深夜の地震だったため、

被害の状況はハッキリしていないが、

今のところ大きな被害はない模様だ。



====



昨日は、全国的に好天だった。



北海道も気温が高く、春のような雰囲気。



日中雪解けが進んだ分、

気温が下がった夜は、

ツルツル路面に要注意だ。



今日の北海道は一転して冬に逆戻りだ。



札幌の最低気温はマイナス7度程度。



日中もマイナス3度までしか上がらない。







1)8区常任幹事会

昨日、8区の常任幹事会が、

総選挙後、初めて開催された。



総選挙の総括について話し合っている。



私の今後については、



「捲土重来を期し、

 今後とも8区を基本に

 活動を続けること」



が確認された。



====





敗因分析をしっかり行う





党と政権運営の拙さに加え、

民主党本来の目的と違う政策に走ったことが敗因





自民党と似た政策を行ってもダメ





秘書、事務所のあり方を再検討する





地元会合にはなるべく顔を出す





民主党本部、

民主党北海道の考え方を明確にすること





夏の参院選は、民自の戦いに加え、

その他政党の参入も考えられ、

相当に腰を据えた取り組みが必要





党本部の政策が、

我々の思いとズレないように、

どんどん政策決定に関わるべき



====



おおまかに集約して、

こんな意見が出されている。



昨日の常任幹事会を契機として、

地元活動がまた次のステップに入る。







2)やり切れない
昨年、民主党が、

「核燃料サイクルを一から見直す」と決定したが、

後日、

政府が「核燃料サイクルの継続」を決めた。



それに関する記事が、

昨朝の毎日新聞に掲載された。



予想通りその裏には、

事業者である日本原燃の

暗躍があったようだ。



何ともやり切れない気持ちだが、

こうしたことを読み切れない、

当時の関係閣僚に失望感を覚える。



以下は、昨日の毎日新聞記事からの引用と

その記事を元に再構成したもの。



====



9月6日:



民主党エネルギー・環境調査会が

「30年代に原発ゼロを目指す」、

「核燃サイクルを一から見直す」

とする政府への提言を決定。





同日午後8時ころ:



日本原燃 川井吉彦社長が、

六ケ所村議会議長 橋本猛一に携帯電話で、

「(30年代原発ゼロなどが)閣議決定される」

と事態が切迫していることを伝える



橋本議長が、橋本勲村議、三角武男村議と

国に意見書を提出する相談を、

翌朝、行うことを決める。、





9月7日午前9時:



橋本議長、橋本勲村議、三角武男村議に加え、

面談を予定していない

川合日本原燃社長ら日本原燃幹部3人が同席し、、

正副議長室で面談。



川井社長らは文書を示し、

再処理から撤退した場合





村内への使用済み核燃料受け入れ





過去に再処理を委託した

英仏から返還される放射性廃棄物の搬入−−



など3項目について、

継続が困難になると、

意見書のたたき台になる内容を説明。



橋本議長が



「証拠が残るから文書を持ち帰ってほしい。

後は我々で相談して決める。

他の議員や記者たちに見られるとまずいから

早く退席してください」



と告げ、3人は従った。





同日午前10時:



六ヶ所村議会開会。



意見書は午後1時半、全会一致で可決。



「再処理路線の堅持を求める」

と題した意見書には8項目が並び、

その中には、

日本原燃の主張する3項目が含まれている。



====



以上のことに対して、

日本原燃は



「社長が誰に電話したのか

相手のあることなので回答を控える。

ただ意見書を出すよう依頼していない」と回答。



橋本議長も



「意見書は我々が独自に作った原案を基にした。

日本原燃の文書は参考にしていない」と説明。



====



しかし電話がきっかけで

議会が動き出した事実は動かない。



電話から意見書可決まで17時間半の早業。



====



意見書は後日、政府のエネルギー・環境会議に届く。



民主党の方針通り閣議決定すれば、

使用済み核燃料は行き場を失う。



2月に英国から返還予定の

高レベル放射性廃棄物も陸揚げできない。



エネ環会議事務局の関係者が振り返る。

「国際問題になりかねない。

 意見書は猛烈に効いた」



昨年9月14日、エネ環会議は「再処理継続」と決めた。



「見直す」とする党の方針はわずか8日で覆った。



==以上、引用、再構成終了==



事業者と地元自治体が手を結んで、

政府を揺さぶる。



これは容易に想像のつくやり口だが、

こうした意見書に

あっさりと降参する関係閣僚に対し、

覚悟のなさを痛感する。



====



先日も規制庁幹部が、

決定前の報告書を事前に事業者に

横流ししていたように、

原子力を止めさせまいとする力は、

社会のあらゆるところに組み込まれている。



だから原子力社会は強固で、

簡単には揺るがない。



これが原子力社会の怖さだ。



だからこそ、

もっと毅然と立ち向かう姿勢が必要だ。



そうしなければ、

日本社会から原子力発電を

低減させることはできない。







今日は節分だ。



子どもの頃の豆まきを思い出す。



さあ今日も、しっかりと前進します。

=============

     2013・2・3 Seiji Ohsaka


=============


マグマグの送信登録・解除はこちらです。

http://www.ohsaka.jp/magazin/




2 Responses to 2月3日 その1992『逢坂誠二の徒然日記』

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください