3月15日 その2032『逢坂誠二の徒然日記』

掲載日:2013.03.15



都内は雲の多い朝を迎えた。



昨日午後、一週間の沖縄滞在を終えて、

都内入りし、幾つかの会合に出席している。



夏日の続く沖縄から戻ると、

都内の寒さが身に凍みる。



朝の気温は5度程度。



日中は14度位まで上がる見込みだが、

沖縄に比べ10度近く低い状態だ。







1)TPP

政府与党のTPPへの対応、

何ともあまりにも酷い展開に呆れている。



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TPPは単なる経済問題ではない。



日本社会の構造を根底から覆しかねない社会全体の問題。



であるがゆえに、

単に経済的なことだけでTPP参加への是非を議論すると、

日本の将来を誤り兼ねない。



人間には、あるいは社会全体には、

社会のカネ回りが良くなれば、

とりあえずは納得すると言う困った性質がある。



本来は、社会の中で、どんなカネの回し方をするかを

十分に考えねばならない。



だが、目先に大金がぶら下がると、

前後の見境なくそれに飛びついて、

とにかく良かった、良かったを連発する。



その後、時間の経過とともに、

社会が変質をしたことを知るが、

そのときはもう既に時遅しなのだ。



現在の日本は、

本当の要因がハッキリしない株高、

円安に目くらましされて、

真実が見えない状態になっている。



株高は、欧州もアメリカも一緒であり、

必ずしも日本政府の政策によって

株高になっているわけではない。



TPPは、経済以外の側面

(教育、福祉、社会保障、金融、保険、知的財産、

医療サービス、日本の都市と農村、

大企業と中小企業・商店など)からも、

十分な検討を進め、

我が「日本がどういう国であるべきなのか」を

見定めつつ交渉に臨む必要がある。



その見定めがないままに

TPP交渉に参加すれば、

カネだけに目がくらみ、

社会の変化に思いを致すことができない。



TPPは、アメリカ社会にとって、

それほど大きな社会的変化をもたらすものではない。



そもそもアメリカと似たようなルールにすべきという考えが、

TPP交渉の根底にあるため、

アメリカ社会の本質的な変化は起きえないのだ。



TPPはアメリカにとってみれば、

どれほど市場を拡大できるかという、

まさに経済問題なのだ。



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こんなことを視野にいれずに、

安倍政権は、交渉参加に入るらしいが、

日本の文化・伝統・地域を、

そして主権を守るとの発想は微塵も感じられない。



安倍総理の言う国益とは、

短期的な経済や対米関係上の利益にしか思われない。



少なくとも明治以降の日本、

特に戦後日本の来し方と現状を踏まえつつ、

日本の行く末に十分な思いを馳せつつ、

TPP以外の選択肢も含めTPP交渉参加への判断をすべきなのだ。



第二次世界大戦前などをはじめ、

いずれの時代も、

電車に乗り遅れるなとの大合唱の中で、

行き先不明の電車に乗って、

国民が幸せになったことはないのだ。



最近の政府与党のTPPを巡る動きについて、

こんなことを思っている。



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日本にとって何の意味もない、

過日の日米共同声明を鬼の首を取ったように振りかざし、

目先の株高と円安を煙幕にして、

十分な議論をさせずに、

それが大人の対応だと勘違いして、

行き先不明の電車に乗ろうとすることは、

日本にとって自殺行為と言うほかはない。



先の総選挙で、

TPPに明確に反対した与党議員も少なくなかった。



彼らの口から、

現状に対する考えを聞いてみたいものだ。







2)公選法

公選法の違憲状態といえば、

現在は衆院の一票の格差問題が

すぐ頭に浮かぶが昨日はまた別の違憲判決が出ている。



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「成年後見制度」で後見人がつくと、

選挙権を失う公職選挙法の規定について、

東京地方裁判所は

「選挙権は国民の基本的な権利であり、

 一律に制限することは憲法に違反する」



という初めての判決を、昨日、言い渡した。



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この案件は、

私が大臣政務官を務めていた時も議論になったものだ。



現行法制度で、後見について、

民法第7条は次のように規定している。



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精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者については、

家庭裁判所は、

本人、配偶者、四親等内の親族、未成年後見人、未成年後見監督人、保佐人、保
佐監督人、補助人、補助監督人又は検察官の請求により、

後見開始の審判をすることができる。



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「事理を弁識する能力を欠く常況にある」が、

この条文のポイントだ。



法務省のHPによれば、

後見制度とは、



「精神上の障害(認知症・知的障害・精神障害など)により,判断能力が欠けて
いるのが通常の状態にある方を保護・支援するための制度です」



とある。



つまり判断能力が欠けているのが「通常の状態」だということだ。



これに対し、保佐制度について、同じく法務省のHPでは、



「精神上の障害(認知症・知的障害・精神障害など)により,判断能力が著しく
不十分な方を保護・支援するための制度です。」



とある。



つまり保佐制度は、

後見制度と違い、常に判断能力に欠けているではなく

判断能力が「著しく不十分」な方、ということなのだ。



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判決文をまだ読んでいないので、

断言はし難いが、

この案件の課題は、

次のポイントかもと思っている。





常に判断能力を欠く方がだから、

自分で判断して投票できないとする考え方





常に判断能力を欠く方でも、

自分で判断して投票できるとする考え方





自分で判断し投票できる能力がある方を、

常に判断能力を欠く方と言えるのか





また投票行為、選挙権の行使における

判断能力とは何なのかという問題





仮に常に判断能力に欠ける方であっても、

後見制度を適用しなければ選挙権を行使できるが、

それとの整合性をどう考えるか





そもそも後見制度と保佐制度の線引きが、

適切に運用されているかという問題



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色々と論点はあろうが、

かつて担当分野だっただけに

非常に気になる案件だ。



投票権の行使を保障し、

その上で極めて限定的に、

選挙権の行使を制限するのが基本姿勢だと私は思う。



現在の後見制度のいうところの、

「常に判断能力を欠く状態」とは何か、

その議論が不足していると考えている。



それは公選法だけの問題ではなく、

後見制度を規定する法体系の問題でもある。







今日は帰函し、

夕方から夜にかけ会合に出席予定だ。



函館の最低気温はマイナス6度。

最高気温は5度程度の見込みだ。



体調を崩さぬように、

気温の変化に注意しなければならない。



さあ今日も、しっかりと前進します。

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     2013・3・15 Seiji Ohsaka


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