5月9日 その2085『逢坂誠二の徒然日記』

掲載日:2013.05.09



函館は明るい朝を迎えた。



昨日、気象台から、

函館の桜の開花宣言が出された。



しかし朝の気温は5度。

まだストーブが手放せない。



だが日中は16度まで気温が上がる見込みだ。







1)

5月8日朝日新聞の

内田樹さんの「壊れゆく日本という国」と題する

寄稿が秀逸だ。



以下に抜粋引用するが、

是非、紙面などで全文を読んで頂きたい。



見出しは次のとおり。



「企業利益は国の利益」

国民に犠牲を迫る詭弁

政権与党が後押し



国民国家の末期を

官僚もメディアも

うれしげに見ている



== 以下、抜粋引用 ==





悪いニュース。





それは、「国民国家としての日本」が解体過程に入ったこと。





国民国家というのは国境線を持ち、

常備軍と官僚群を備え、

言語や宗教や生活習慣や伝統文化を

共有する国民たちが

そこに帰属意識を持っている共同体のことである。





平たく言えば、

国民を暴力や収奪から保護し、

誰も飢えることがないように気配りすることを

政府がその第一の存在理由とする政体である。





言い換えると、

「身びいき」な(「自分さえよければ、それでいい」という)

政治単位だということでもある。





(この国民国家が)

今ゆっくりと、しかし確実に解体局面に入っている。





政府が「身びいき」であることをやめて、

「国民以外のもの」の利害を

国民よりも優先するようになってきた





「国民以外のもの」というのは

グローバル企業のこと。





起業したのは日本国内で、創業者は日本人であるが、

株主も経営者も従業員も今では多国籍であり、

生産拠点も国内には限定されない「無国籍企業」のこと。





この企業形態でないと

国際競争では勝ち残れないということが

(とりあえずメディアにおいては)「常識」として語られている。





国内の雇用を確保し、地元経済を潤し、

国庫に法人税を納めるということを優先していると、

コスト面で国際競争に勝てないからであろう。





株式会社の経営努力というのは、

もっとも能力が高く賃金の低い労働者を雇い入れ、

インフラが整備され公害規制が緩く

法人税率の低い国を探し出して、

そこで操業することだと投資家たちは考えている。





企業のグローバル化を

国民国家の政府が

国民を犠牲にしてまで支援するというのは

筋目が違うだろう。





グローバル企業とメディアは次のようなロジックで

(大飯原発)再稼働の必要性を論じた。





原発を止めて火力に頼ったせいで、

電力価格が上がり、製造コストがかさみ、

国際競争で勝てなくなった





日本企業に「勝って」欲しいなら原発再稼働を認めよ。





そうしないなら、われわれは生産拠点を海外に移すしかない。





そうなったら国内の雇用は失われ、

地域経済は崩壊し、税収もなくなる。





それでもよいのか、と。





この「恫喝(どうかつ)」に屈して

民主党政府は原発再稼働を認めた。





ことあるごとに「日本から出て行く」と脅しをかけて、

そのつど政府から便益を引き出す企業を

「日本の企業」と呼ぶことに私はつよい抵抗を感じる。





彼らにとって国民国家は

「食い尽くすまで」は使いでのある資源である。





本来企業が経営努力によって引き受けるべきコストを

国民国家に押し付けて、

利益だけを確保しようとするのが

グローバル企業の基本的な戦略。





コストの外部化を国民国家に押しつけるときに、

「日本の企業」だからという理由で

合理化するのはやめて欲しいと思う。





グローバル企業は、

実体は無国籍化しているにもかかわらず、

「日本の企業」という名乗りを手放さない。





「われわれが収益を最大化することが、

 すなわち日本の国益の増大なのだ」

というロジックが

コスト外部化を支える唯一の論拠だから。





だから、

グローバル企業とその支持者たちは

「どうすれば日本は勝てるのか?」という問いを

執拗に立てる。





あたかもグローバル企業の収益増や株価の高騰が

そのまま日本人の価値と連動していることは

論ずるまでもなく自明のことであるかのように。





そして、この問いは

ただちに「われわれが収益を確保するために、

あなたがた国民はどこまで

『外部化されたコスト』を負担する気があるのか?」

という実利的な問いに矮小化される。





日本のメディアがこの詭弁を

無批判に垂れ流していることに

私はいつも驚愕する。





この「企業利益の増大=国益の増大」という等式は

その本質的な虚偽性を糊塗するために、

過剰な「国民的一体感」を必要とするということである。





国際競争力のあるグローバル企業は

「日本経済の旗艦」である。



・だから一億心を合わせて企業活動を支援せねばならない。





そのために国民は低賃金を受け容れ、

地域経済の崩壊を受け容れ、

英語の社内公用語化を受け容れ、

サービス残業を受け容れ、

消費増税を受け容れ、

TPPによる農林水産業の壊滅を受け容れ、

原発再稼働を受け容れるべきだ、と。





国民をこういう上ずった状態に持ち込むためには、

排外主義的なナショナリズムの亢進は不可欠である。





だから、安倍自民党は中国韓国を

外交的に挑発することにきわめて勤勉なのである。





日本国民が

「犠牲を払うことを厭わない」というマインドになってくれれば、

国民国家の国富を

グローバル企業の収益に付け替えることに対する

心理的抵抗が消失するからである。





私たちの国で今行われていることは、

「日本の国富を各国(特に米国)の

 超富裕層の個人資産へ移し替えるプロセス」なのである。





現在の政権与党の人たちは、

米国の超富裕層に支持されることが

政権の延命とドメスティックな威信の保持に

たいへん有効であることをよく知っている。





安倍政権は「戦後最も親米的な政権」として、

これからもアメリカの超富裕層から

つよい支持を受け続けることだろう。





自分たちの個人資産を増大させてくれることに

政治生命をかけてくれる外国の統治者を

どうして支持せずにいられようか。





国民国家の解体を推し進める人たちが

政権の要路にあって国政の舵を取っている。





政治家たちも官僚もメディアも、

それをぼんやり、なぜかうれしげに見つめている。





これが国民国家の「末期」のかたちなのだろう。



== 以上、抜粋引用終了 ==



すこし抜粋引用が長くなったが、

是非、本編を多くの皆さんにお読み頂きたい。







2)憲法

憲法について勉強したいという方から、

参考文献について質問を受けることが多い。



最近は、小林節先生の次の本を紹介している。



『「憲法」改正と改悪』(時事通信社)



各論で私の考えと違うところもあるが、

憲法とは何かを

ざっくりと把握するには良い内容だと思う。







さあ今日も、しっかりと前進します。

=============

     2013・5・9 Seiji Ohsaka


=============


マグマグの送信登録・解除はこちらです。

http://www.ohsaka.jp/magazin/




2 Responses to 5月9日 その2085『逢坂誠二の徒然日記』

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください