2月5日 その1293『逢坂誠二の徒然日記』

掲載日:2011.02.05



今日は函館市内で、幾つかの用務に当たり、夜は八雲町での
新春の集いに出席します。


1)大相撲
大相撲が八百長問題で大揺れです。春場所の開催も危ぶまれているとのことで
す。

秘書H君によれば、ある国語辞典の八百長の項目に「相撲など」と例示が出てい
るらしいとのことですが、以前から相撲と八百長の関係は取りざたされていたの
は事実のようです。ここに来て、それが爆発的噴火となって、一気に現実のもの
となりました。

相撲には国技として、一般のスポーツとは違った品格があります。反面、旧弊の
多い世界とも言われています。

今回の件が、どのように発展するのか、皆目見当もつきません。しばらく相撲か
ら遠ざかっていた私ですが、白鵬の存在などによって、最近、改めて関心を取り
戻しつつあるだけに、なんとも残念な気持ちです。

今回の件で、相撲界は相当な打撃を受けるものと思います。しかしこの機会に膿
を出し切って、国技としての真の品格を取り戻すことを願っています。



2)子ども手当
子ども手当を廃止すべきとの声が届くことがあります。でも本当に、それほど批
判される制度なのでしょうか。

少子化からの脱却は、日本が取り組むべき、極めて大きく重要な課題です。この
問題を先送りすればするほど、日本の将来により一層の暗雲が立ち込めるのが現
実です。もちろん子ども手当だけで、この少子化傾向に歯止めがかかるとは思い
ません。あらゆる政策・対策を組み合わせて、やっとその目的が達成されるもの
だと考えています。しかもその組み合わせを見つけ出すのは、簡単ではありませ
んし、時間を要するのも事実です。

私は、批判も含むこの子ども手当議論を、単なる批判に終わらせることなく日本
の少子化対策の大きな議論に、つなげていくべきだと考えています。


毎日新聞の社説(5日付)「子ども手当 制度は維持すべきだ」が参考になりま
す。

== 以下、引用 ==

民主党の政策には無理なものがたくさんあり、菅内閣が見直しをするのは当然
だ。しかし、すべてを否定すべきなのだろうか。政権が代わって光が当たるよう
になったものもある。国会で相変わらず批判を浴びている子ども手当がその一つ
だ。

現在は中学生まで1人につき月額1万3000円だが、11年度から3歳までは
2万円に増額する。国内居住の子に限定し、施設に入っている子にもすべて支給
する。保育料などを滞納する家庭にも支給されることが批判されていたが、11
年度から保育料は自治体が強制的に子ども手当から回せるようにし、給食費も親
の同意を得た上で充当可能とする。

当初は中学生まで2万6000円支給で総額5.3兆円になる予定だったが、現
在は2.3兆円。11年度からは2.9兆円だ。マニフェストでは高所得者に有
利な扶養控除や配偶者控除(計1.4兆円)を廃止して子ども手当に回すとして
いた。これに自公政権時代の児童手当(1.1兆円)を加えれば現在と財源規模
はあまり変わらない。

若年世帯は相対的に所得が低く、特に3歳未満の子がいる世帯は貧困層が多い。
控除を廃止した財源をそうした世帯に回すのは望ましい政策ではないか。選挙対
策で配偶者控除の廃止を見送り、また「全額国庫負担」の約束だったのに児童手
当の地方負担分も取り込んだため批判もされる。しかし、現制度の骨格自体が間
違っているとは思わない。

所得制限がないため金持ちの子にも手当が行くことへの批判も根強い。しかし、
選別主義的な制度は不正受給が起こりやすく、行政不信や市民間の不信が増幅す
る恐れがある。行政の事務量も増える。それよりも課税の累進制を高めて再分配
で公平を図る方が合理的だ。諸外国でも所得制限はほとんどない。少なくとも、
「ばらまき」と決めつけるのは妥当ではない。

子ども手当を貯蓄や遊興費に充てる親が多いとも言われるが、児童手当はどう
だったのだろうか。子どものために使うのであれば時期や支出先を限定する必要
はない。初めから完璧な制度はあり得ない。

 子育てを終えた世代に不人気なのはわかるが、以前より親族間や地域での支え
合いは薄れており、経済格差も広がっている。家族を守るためにこそ「一人一人
の子の育ちを社会が支援する」との理念は大事だ。その結果、少子化の改善や消
費の刺激がもたらされれば言うことはない。

次世代が地盤沈下すれば、今どんなに素晴らしい政策を打ち立てても崩れてい
く。子ども手当や子育て支援策は政局に巻き込まず、冷静に長期的な視野で考え
てほしい。


== 以上、引用終了 ==


私が言うと手前味噌との批判を受けるかもしれませんが、子ども手当に限らず多
くの政策について、この社説の主張が冷静に受け止めてもらえる場面が増えるこ
とを期待しています。



3)マニフェスト
マニフェストを変更するか、しないか、そんな議論があります。

私は、町長時代から、マニフェスト、あるいは公約について、こんな考えを持っ
ています。

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・ある一定のマニフェスト、公約を掲げた選挙で当選する
・しかし、そのマニフェスト等の全て実行について、首長や政府与党は、国民か
ら白紙委任状をもらったわけではない
・首長や政府与党には、最低限、そのマニフェスト等を、議会など議論や正当な
手続きを経て、実行する過程に移す責任がある
・その過程の中で、合理的な理由があれば、マニフェスト等の内容と違う政策に
なることはありうる
・もちろん政策が変わることに対して、責任がゼロではない
・しかし、政策が変わることそのもののを否定するのは、逆に議会議論等の民主
的過程を否定すること
・したがって、政策の変更がありうるのは当然

====

つまりマニフェストを変える変えないの議論ではなく、掲げたマニフェストを出
発点にして、国会の場等で議論をして、政策を生み出す努力が大きく求められる
のです。その結果、マニフェストと内容が変わることは、おかしいこととは思わ
れません。これが民主主義なのだと思います。





さあ今日も、しっかりと前進します。

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    2011・2・5 Seiji
Ohsaka

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