8月10日 その2544『逢坂誠二の徒然日記』

掲載日:2014.08.10



今朝は、恵庭市総合体育館の格技室で目が覚めた。



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昨日も密度の濃い一日を過ごした。



朝は函館市で開催された

「手をつなぐ育成会の全道大会」に来賓として出席、

昼は事務所で政治塾、

午後は、札幌市で原発に関する講演、

そして夜は、恵庭市での障がい者の一泊屋外イベント

「いけまぜ」にボランティアとして参加。



移動も多かったが、内容のギッシリ詰まった一日だった。







1)いけまで

恵庭市で開催された「いけまぜ」では、

小児脳神経外科医の高橋義男先生をはじめ、

障がい児の皆さんや親御さん、関係者の皆さんと、

23時まで屋外でビールを酌み交わしながら、

いろいろな意見交換をさせて頂いた。



何も福祉の話ばかりではない。



世間話から身の上話、地域づくりの話など、

硬軟織り交ぜた多岐に渡る話題だ。



福祉について机上で色々と考え

制度設計などをすることも大切だが、

やはり実際に多くの関係者の皆さんと直接触れ合い、

単なる意見交換ではなく喜怒哀楽もともにしつつ、

心の交流をすることの大切さを痛感している。







2)見解の相違?

昨日は、長崎は、被爆から69年の原爆の日を迎えた。



原爆犠牲者慰霊平和祈念式典では、

被爆者代表の城台美弥子さん(75歳)が、



集団的自衛権の行使容認を

「憲法を踏みにじる暴挙」



と痛烈に批判した。



田上富久市長も平和宣言で



「平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、

という不安と懸念が急ぐ議論の中で生まれている」



と指摘した。



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長崎原爆遺族会の正林克記会長は、



「緊張緩和への政府の確かな取り組みさえあれば、

 火に油を注ぐような集団的自衛権は要りません」



と安倍総理に詰め寄った。



これに対し、安倍首相は



「平和国家としての歩みは寸分も変わらない。

丁寧に説明する努力をすることで必ず理解をいただけると思う」



と応えたようだ。



被爆者の一人が「納得してませんよ」と声をかけると、



「見解の相違です」



と表情を変えずに言い、会場を後にしたという。



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こんな長崎での動きを見ていると、

総理に国民の思い、声は何も伝わっていないと痛切に感ずる。



見解の相違とは、

話し合いが継続できない場面で良く用いられる。



総理は丁寧に説明すると言っているが、

総理の見解に反する国民との対話をするつもりはないように感じられる。



このような方をいつまでも総理にしておいては、

日本の民主主義が崩壊してしまう。







3)平和への誓い

少し長くなるが、被爆者代表の城台美弥子さんの

「平和への誓い」の全文を紹介する。



==以下、平和への誓い ==



一九四五年六月半ばになると、一日に何度も警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴
り始め、当時六歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができ
なくなっていました。





八月九日朝、ようやく目が覚めたころ、魔のサイレンが鳴りました。



「空襲警報よ!」



「今日は山までいかんば!」



緊迫した祖母の声で、立山町の防空壕へ行きました。



爆心地から二・四キロ地点、金毘羅山中腹にある現在の長崎中学校校舎の真裏で
した。



しかし敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは「今の
うちー」と防空壕を飛び出しました。





そのころ、原爆搭載機B29が、長崎上空へ深く侵入して来たのです。





私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。



お隣のトミちゃんが「みやちゃーん、あそぼー」と外から呼びました。



その瞬間空がキラッと光りました。



その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えていません。



しばらくたって、私は家の床下から助け出されました。



外から私を呼んでいたトミちゃんはそのときけがもしていなかったのに、お母さ
んになってから、突然亡くなりました。





たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなり、たとえその時を生き延びたとして
も、突然に現れる原爆症で多くの被爆者が命を落としていきました。



私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。



わたしが被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲し
み、苦しみました。



原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることも
できません。



今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界中から一刻も早くなく
すことです。





そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。



被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。



しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。



今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙で
す。



日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。



武器製造、武器輸出は戦争への道です。



いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。



歴史が証明しているではないですか。



日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。



被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。





福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よ
そへ避難を余儀なくされている方々がおられます。



小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。



このような状況の中で、原発再稼働等を行っていいのでしょうか。



使用済み核燃料の処分法もまだ未知数です。



早急に廃炉を含め検討すべきです。





被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしていま
す。



小学一年生も保育園生も私たちの言葉をじっと聴いてくれます。



この子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、思い
いっぱいで語っています。





長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、再び愚かな行為を繰り返さないた
めに、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください。



日本の真の平和を求めて共に歩みましょう。



私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え残していく決意を皆様
にお伝えし、私の平和への誓いといたします。



平成二十六年八月九日



被爆者代表 城台美弥子



==以上、引用終了==



この平和の誓いを読んで目頭が熱くなる。



これが国民の生の声だ。



私は、この思いを真摯に受け止めたいと思う。







今日は、朝ご飯まで恵庭に滞在し、帰函する。



そして街宣、さらに地元予定が詰まっている。



さあ今日も、しっかりと前進します。


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        2014・8・10

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