8月16日 その2550『逢坂誠二の徒然日記』
掲載日:2014.08.16
函館は、今朝も雲が多い。
1)自作自演
昨日、戦後69回目の8月15日、
政府主催の全国戦没者追悼式が
日本武道館で開かれた。
安倍総理は式辞で、
「世界の恒久平和に、能うる限り貢献する」と述べた。
しかし、歴代首相が表明していた
アジア諸国に対する加害と反省や、
「不戦の誓い」の言葉はなかった。
安倍政権になって、
日本の軍事的な存在感が高まる方向に
政策が転換している。
そうした中で、平和との言葉は使うが、
不戦との言葉は消えてしまった。
これを当然と見る向きもあるようだが、
私は、日本の軍事的存在感を、
今あえてこの時期に高める理由が分からない。
安倍総理は、以前からこうした首長をしている。
今の国際情勢から判断して、
軍事的存在感を高めているわけではない。
自分が総理である時期、
例えば第一次安倍内閣のときも
軍事的存在感を高めたかったはずだ。
軍事的存在感を高めることが目的で、
その理由に今の国際情勢を持ち出しているのだろう。
安倍総理の言動が、
逆に近隣諸国との軍事的緊張を高める結果になり、
総理は、その緊張感の高まりを
軍事的存在感を高める理由にしている。
自作自演の雰囲気が漂う。
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総理が行うべきことは、
各国間の軍事的緊張を高めないために、
節度ある言動を行うことであり、
日本が抑制的な軍事力であり続けることを追及することだ。
2)標準的な政策
最近、こんな意見を聞くことが、時々ある。
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兵器の共同開発および輸出、
集団的自衛権は世界的に見れば標準的な政策。
多国間での安全保障の連携は
日本の安全を担保する上で大事な事。
毎年軍事費をのばし続け、
周辺国や地域に軍事的圧力、
威嚇、挑発を繰り返している国もある。
こんな状況下で、
日本が現在取り組んでいる
いくつかの安全保障政策は、
世界の常識から考えれば普通の事
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安倍総理の考えもそうなのだろうと思う。
しかし、現行日本国憲法の下で、
こうした方向へ転換することは難しい。
他国と同様な軍事的行動ができないように、
現行の日本国憲法は、権力に縛りをかけている。
上記の意見のようなことをしたければ、
憲法改正が必要になるのだと思う。
安倍総理の行動は、
平和主義を掲げる憲法9条、
憲法改正手続きを規定した憲法96条、
そして権力者の憲法擁護尊重義務を規定した憲法99条、
これらに反する恐れが強い。
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平和は待っているだけでは実現しないが、
待たないことの具現化が、即、武力行使ではないだろう。
どんな戦争であれ、
戦争の終局は必ず話し合いだ。
最終的に話し合いがなければ、
戦争を終えることができない。
だとすれば、武力行使をする以前に、
真の最後に行われるであろう
話し合いを実現するための努力を最大限行うことが、
人類に、特に日本に求められていることだ。
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それにしても思うことがある。
戦争をする切っ掛けや
条件づくりをするのは権力の側だが、
それに拍車をかけるのは、
一般国民のような気がしてしょうがないということだ。
平和とは極めて難しい問題であり、
それを維持するのは辛い行為だ。
権力が何か勇ましいことを言い始めると、
平和が重すぎるため、
国民の一部は熟考も熟議もせずに、
それをわけ知り顔に受け容れる。
その勇ましさを吹聴することが、
あたかも正しいことであり、
それに賛同しない人を排除する。
そんな雰囲気が、
権力の側ではなく、国民の側から作り上げられていく。
これはいつの時代も、
国家が危機に陥る過程の中で、
見られることのような気がする。
今、もしかすると日本は、
その入り口に立っているのかもしれない。
平和を維持するために、私たちは何をすべきなのか、
安易な答えに惑わされることなく、
腰を据えて考えることが必要だ。
さあ今日も、しっかりと前進します。
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2014・8・16
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