9月25日 その1522『逢坂誠二の徒然日記』
掲載日:2011.09.25
朝、便座に腰かけると、
函館は冷たさを感ずる季節になりました。
夜明け前の函館、空には多少の雲がありますが、
晴れの朝を迎えました。
現在の気温は13度程度、
日中の予想最高は21度ほどと予想されています。
1)ニュートリノ
光より早い素粒子が観測された
とのニュースが流れています。
これは、
アインシュタインの特殊相対性理論と矛盾する内容です。
これが事実だとすれば、
物理学が根底からくつがえる可能性があります。
この実験結果に否定的な専門家が多いようですが、
今後、多くの学者がこの結果を問う実験を行うものと思います。
その行方に大注目です。
2)障がい者コンサート
昨日、函館市内で開催された、
障がい者交流ふれあいコンサートにお邪魔しました。
今年で10回目の開催で、
能川邦夫前函館市議が実行委員長を務めておられます。
いつもお世話になっている障がい者団体の皆さんが、
日ごろの練習の成果を披露したのですが、
ステージで一生懸命になっている皆さんの姿を観ていると、
胸が熱くなりました。
しかしこのコンサート、今回の10回を区切りとして、
来年は休止するとのことです。
開催には、相当な苦労があるとのことですが、
素晴らしい取り組みなだけに残念な気持ちです。
3)メディアと政治を考える 自由な言葉あってこそ
9月20日付東京新聞の社説、極めて重要な指摘をしています。
== 以下、全文を引用 ==
政治家の発言をメディアが報じることで現実の政治が動く。そんな事例が相
次いでいる。分かりやすい結末を追い求める落とし穴にはまっていないか。
鉢呂吉雄前経済産業相が一連の「問題発言」の責任をとる形で大臣を辞任したの
は、就任わずか九日目だった。
問題とされた発言は二つある。まず九日の会見で福島第一原発周辺の地域を
「人っ子一人いない。まさに死の町」と呼んだ件。次いで、同日夕から翌朝にか
けて一斉に報じられた「放射能をうつしてやる」という記者への発言だ。
◆しゃくし定規の息苦しさ
後者の放射能発言は鉢呂氏が原発周辺の自治体視察から東京・赤坂の議員宿舎に
帰ったとき、宿舎のエントランスで記者団に囲まれた際に語った発言である。
鉢呂氏は記者との懇談を非公式なものと認識しており「発言内容自体も正確には
覚えていない」と釈明している。録音記録も残っていないようだ。
いずれの発言も大臣として不適切な発言として批判を浴びて、当初は説明を尽く
す考えだったが、放射能発言が報じられた十日夜になって結局、辞任を表明し
た。
たしかにテレビカメラも入った会見で「死の町」という表現は適切とは言えな
い。ただ、絶対に許されないほど不穏当だったかと言えば、議論の余地は残る。
後に明らかになったことだが、細川律夫前厚生労働相も五月の参院行政監視委員
会で民主党議員の質問に答えて「町全体が本当に死の町のような印象を受けまし
た」と語っている。
本紙を含めて新聞も「ゴーストタウン」という表現を使ってきた。「死の町」は
だめだが「ゴーストタウン」ならいい。そんなしゃくし定規な議論が広がるよう
になっては、なんとも息苦しい。
◆言葉狩りのメカニズム
放射能発言も気になる点がある。発言があったのは八日夜だが、同夜も翌朝もメ
ディアは一行も報じていない。ところが、九日の「死の町」発言が明らかになっ
た後の同日夕からテレビ、新聞が大きく報じ始めた。
そこには「批判スパイラル」とも呼ぶべきメディアの特性がある。いったん批判
の標的を見つけると、さらなる批判の材料を追い求め、スパイラル(らせん)状
の軌道に乗ったかのように一斉に標的を追い詰めていくのだ。
メディア各社はみな激しく競争している。一社が書けば、他社が後追いする。そ
こには多少の疑問があっても一応、批判の輪に加わらなければ、それ自体が意図
的な報道回避と受け取られかねないという懸念も働いている。
発言があった日から一日遅れになった今回の放射能発言報道は、そんなメディア
全体の電子回路にスイッチが入ってしまったような展開だったのではないか。
どんなタイミングでどんな内容を報じるかは、メディアの裁量である。たとえ非
公式なオフレコ発言であったとしても「報じるに値するかどうか」の判断はメ
ディア自身に任されるべきだ。それは言論報道の自由と不可分である。
その点を指摘したうえで、多くのメディアが「批判スパイラル」一色に染まって
いく状況を恐れる。それは言論や価値判断の多様性という社会の根幹をむしばむ
事態につながりかねないからだ。
それぞれのメディアが自由に判断した結果、同じような報道のトーン、価値判断
に陥っていくとすれば、なおさらである。「批判スパイラル」が実は「同調の言
葉狩り」になってしまう。それは多様性の尊重とは真逆の事態と言ってもいい。
批判スパイラルを加速させた背景には「問題はいずれ国会で大騒ぎになる」とい
う判断がある。そういう見通しを織り込んだ記事もあった。メディアだけにとど
まらない。鉢呂氏自身も辞任に際して、その点を考慮しただろう。
ともに「国会で問題になる」という見通しを前提にして、メディアは記事を書
き、政治家は身の処し方を考える。結果があっけない大臣辞任という幕切れだっ
た。
問題発言で大臣が辞めたのは、菅直人政権で二〇一〇年十一月に辞任した柳田稔
元法相、ことし七月に辞任した松本龍前復興相に続いて三人目だ。輿石東幹事長
は放置できないとみて、情報管理を徹底する方針を打ち出した。
◆不自由さが自殺行為に
問題発言がメディアで批判され、国会紛糾を恐れるあまり、大火事になる前に先
手を打って大臣を辞める。そんな展開が当たり前のようになってきた。
自戒を込めて書く。メディアも政治家も少し冷静になろう。考える時間が必要
だ。言葉で仕事をしているメディアや政治家が、言葉に不自由になってしまうよ
うでは自殺行為ではないか。
== 以上、引用終了 ==
「死のまち」発言は、
細川厚生労働大臣のときは、
何故問題にならなかったのでしょうか。
鉢呂大臣の発言は何ゆえに、
問題となったのでしょうか。
判然としません。
さらに8日夜の「放射能」発言が、
それほど問題だとするならば、
何故、9日朝のニュースで扱わなかったのでしょうか。
さらに新聞各紙のこの発言の報道ぶりが
全て違っているのです。
朝日新聞「放射能をつけちゃうぞ」
読売新聞「ほら放射能」
産経新聞「放射能をうつしてやる」
毎日新聞「放射能をつけたぞ」
この表現のばらつきは何を意味するのでしょうか。
マスコミと政治家の関係はどうあるべきなのか、
悩み深い状態になったことは事実です。
4)心が晴れません
野田内閣がスタートして、
色々と期待の声を聞きます。
しかし、私の心は晴れません。
枝野経産大臣は、シンガポールで、
TPP交渉参加に前向きな発言をしたと報じられています。
なぜ国内で国民に向かって話さなかったのでしょうか。
野田総理は、オバマ大統領と会談し、
日米合意に基づいて普天間問題に対処すると発言されたようです。
オバマ大統領に話す前に、
沖縄の皆さんに仁義を切る必要があったのではないでしょうか。
また原子力発電所の輸出に前向きとの報道もあります。
しかし日本国内原発の使用済み核燃料1万数千トンの帰趨が決まらない中で、
輸出を促進するのは、如何なものでしょうか。
私の心は晴れません。
今日は函館ハーフマラソンが開催されます。
各地から参加された
2千名のランナーが秋の函館を走り抜けます。
さあ、今日もしっかりと前進します。
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2011・9・25 Seiji
Ohsaka
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