11月24日 その1582『逢坂誠二の徒然日記』

掲載日:2011.11.24



夜明け前の都内、
空はまだ漆黒状態です。

今の気温は一桁、9度くらいでしょうか。

日中は17度程度になる見込みです。


日の出は6時25分と、随分と遅くなっています。



1)原子力発電
昨日の朝日新聞の朝刊は社説は、
二本とも原子力発電に関する内容でした。

朝日新聞は、東京新聞とともに、
原子力発電所削減の方向を明確にしています。

====

一つ目の社説のタイトルは、

「原子力仕分け―まず脱原発を固めよ」です。

== 以下、抜粋引用 ==

消化不良だっただろう。

行政刷新会議による、原子力をめぐるやりとりのことだ。

今回の仕分けは、「提言型」と銘打った。
誤認や勉強不足としか思えない発言も目立った。

たとえば、高速増殖炉「もんじゅ」をめぐる討議だ。

「新たな炉に改め、
 主体も民間企業など別組織に移管する」
といった仕分け側の意見は、
核燃料サイクルの全体像や、
危険性の高い高速増殖炉そのものの問題点を踏まえない
乱暴な指摘だった。

原発事故があったからといって、
地域振興目的だった使途を、
いきなり「安全対策へ絞り込め」と主張するだけで、
原発を受け入れてきた自治体が納得するだろうか。

交付金問題の抜本的な解決にはつながらない。

根幹となるエネルギー政策が定まる前に、
つまみ食いのように仕分けするのは無理がある。

まずは脱原発への道筋を確かなものにする必要がある。

私たちは、原発を段階的にゼロにすることを提言し、
もんじゅだけでなく核燃料サイクル計画からの撤退や、
廃炉に向けた立地自治体と政府との話し合いを求めてきた。

仕分け作業が無駄だったわけではない。

今回の議論で、もんじゅが
初発電から20年近く事故続きで
ほとんど稼働していないのに、
維持費だけで年間200億円
かかっていることを知った人もいるだろう。

交付金についても、
財源は毎月の電気料金として徴収されている税金だ。

仕分けの最後には、
経済産業相や環境相、文部科学相らが出席し、
エネルギー予算の大胆な組み替えを公言した。

口先で終わらないか。こちらも厳しく見守りたい。

== 以上、抜粋引用終了 ==

根幹となるエネルギー政策が決まる前に
つまみ食いのように仕分けることに対する異論は、
まったく同感です。

しかも仕分けが、
原子力発電の維持、
もんじゅなど核燃料サイクルの存続などが、
基本的方向になっていることに
相当な違和感を覚えます。

日本の原子力政策そのものを、
根底から見直す、その姿勢が必要です。

====

二本目の社説は、

「地方議会―原発の議論を興すとき」

がタイトルです。

== 以下、抜粋引用 ==

震災と原発事故で延期され、
7カ月遅れの実施となった地方選挙が、
先週末で終わった。

福島県議選では多くの候補者が、
除染対策や生活再建に加えて
「脱原発」を訴えた。

宮城県議選では、
「原発ゼロ」を主張した新顔が、
当選したのが目を引いた。

福島県議会では、

県内すべての原発の
「廃炉」を求める請願を、
選挙前最後の本会議で採択した。

県は、復興計画に
「全基廃炉」を明記する方針を固めた。

静岡県牧之原市議会は、
浜岡原発の「永久停止」を求める決議をした。

福井県小浜市議会は、
期限を切っての「脱原発」を掲げた意見書を出し、
原発が立地する隣の町の議会と、意見交換を始めた。

高浜町議会の意見書は
「原発を堅持し、再稼働すべし」と国に求めた。

意見書や請願の採択をめぐって、
意見が割れた議会も少なくない。

地域の未来を原発に託すかどうか、
地方議会が真剣勝負の議論を、
始めつつある、とは言えまいか。

原発を受け入れた地域の議会は、
「追認機関」になりがちだった。

関心は交付金や雇用に集まり、
安全確保は国の責任だと片づける。

少数の反対意見や危険性への指摘に耳を傾け、調べ、
熟議する道すじは十分でなかった。

その反省も必要だ。

住民を巻き込む議論を興し、
多様な意見をまとめ、地域の意思決定をする。

住民に近い所にいる地方議員の役割は、重い。

そもそも原発の運転や電力供給のあり方に対し、
自治体が及ぼせる権限は小さい。

だが住民の生活に深くかかわることを、
国策と独占企業体だけに任せておいてよいのだろうか。

議会が問われている。

== 以上、抜粋引用終了 ==

原発の問題を、自治体議会が
もっと議論すべきとの指摘同感です。

少数意見や反論等にも耳を傾けるべき
との指摘も同様です。

これまで国や企業は、
多額の交付金などで、
異論反論を封じてきました。

しかしこの手法に問題があると、
自治体議会が明確にすること、
原子力政策の行く末は大きく変わってきます。



2)1969
1969年、私が10歳、小学校4年生でした。

この年の歌ばかりを収めた
由紀さおりさんのアルバムが海外で大ヒット中とのことです。

どんな部分が外国人に受けているのか、
私には判然としませんが、
私が聞くと懐かしさで一杯です。

PPMの「パフ」まで、入っているのは驚きました。

こうした分野で、日本人が評価されるのは、
ことのほか嬉しいですね。



今日は早朝から総務委員会、
さらに午後は本会議も予定され、
密度の濃い、一日になります。

さあ、今日もしっかりと前進します。
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   2011・11・24 Seiji
Ohsaka

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