徒然日記

3月12日 その3488『逢坂誠二の徒然日記』(5185)

函館は、今朝もスッキリと晴れ上がっている。

雪はあるが、早春の雰囲気が漂っている。

昨日は朝から、地元をフルに歩き回った。

1)森友問題

昨夜は、森町後援会の皆さんに、
私の新春の集いを開催して頂き、
多くの皆さんに参加頂いた。

本当に有り難く思う。

地元の多くの皆さんに支えられて、
私が国会で仕事ができることを。
改めて痛感している。

昨夜は、森友学園に関して、
多くの皆さんからご意見を頂いた。

絶対にあんなことは許せない。

真相を明らかにして欲しい。

総理の奥さんはおかしい。

これらを中心に数多くの声が寄せられた。

PKO撤退を
あの時間に総理が発表したことは
姑息だとの声もあった。

地元の皆さんは、よく見ている。

安倍政権の一次産業政策についても、
多くの批判の声を頂いた。

こうした声に確実な応えられるよう、
力を尽くして参りたい。

2)深謀遠慮

最近、つくづく感ずることがある。

あまりにも深謀遠慮のない、
意見のやり取りの場面が多いことだ。

他人の言葉尻を捉えて、
深い意味も考えることなしに、
即、相手を批判する。

こんな応酬があまりに多い。

深謀遠慮という言葉が失われた社会に
大きな不安を感じている。

今日は、東京で民進党大会のため、
朝、東京に向かい、最終便で帰函予定だ。

今日は満月。

さあ今日も、確実に前進します。

==  2017.3.12  ==

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  1. >深謀遠慮という言葉が失われた社会に大きな不安を感じている。

    新しい公共などで旧民主党と縁のある宮台真司さんがここ最近言っていることの中に、正義から享楽、正しさよりも痛快であることを選ぶ時代になった、というような表現がありますが、逢坂さんが実感されているものに当てはまるでしょうか。この表現はここで終わらず、正しさだけを主張する者は、痛快さを提供する者に負けるということまで言及があります。正義だけに終わらずそこに享楽の要素が無い限りは、その正しさだけを振り回す人々に憤りを覚える人から見ると、単なるマウンティング(押し付け)野郎にしか感じないという主旨の話です。

    マスコミ視点で森友学園を見るとどうか。政府はおっかないけれど、まず首相まわり日本会議まわりを弄れる点で、抑圧されてきたマスコミ自身やユーザー側に享楽の要素があり、同時に腐敗政治をジャーナリズム的な姿勢で、庶民の側から叩くことが出来る美味しさがあるわけですよね。今後、野党側はどうすれば正しさに終わらずに享楽性と言ったものを付与し、動機に繋げるかという点で研究する必要がある気がします。

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