徒然日記

「国を好きだという気持ち」/逢坂誠二 #7544

【23年8月28日 その5847『逢坂誠二の徒然日記』 #7544】 夜明け前の函館、多少雲がありますが、晴れの雰囲気です。気温24度。日中は31度で晴一時雨の予報です。布団を抜け出して、ゴミ出しをして、再度、ちょっとだけ横になったのですが、なんと1時間も2度寝をしてしまいました。寝不足、疲労が溜まっているようです。やれやれ。
1)国を好きだという気持ち 一昨日の日記で言及した、モンゴルの女性が即座にモンゴルが好きと言った件に関し、いくつかの苦言を頂きました。
*自分の国を即座に好きだというのが何が悪い *そんな素直な気持ちに疑いを持つことに軽蔑を覚えるし、そんなことを思う心は澱んでいる *自分の国を好きだと言ったら悪いのか
以上などの苦言です。
私は、多くの国民が日本が好きだ、あるいは誇りに思うことのできる、そんな国づくりをしたいと思っています。その思いにいささかの揺らぎもありません。しかし、好きだと言うことを強制されたり、それを言わないと非難されるような雰囲気の中で「好きだ」というべきだとは思っておりません。自分の、心の中から滲み出るような思いの中で、好きだというべきだと考えています。
一昨日の日記は、私の心の中にある以下の2点のことが背景になってあのようなことを書きました。
*今の日本人ならあれほどストレートに言わないだろうという気持ち *あの答えをした女性が虚心坦懐な発言であることを祈る気持ち
実は、国を好きだとか、国を愛するなどの気持ちは、極めて大事なことなのですが、極めて微妙で危うい側面も持っていると私は考えています。以前もこのことを、この日記で書きましたが、改めて、後日、紹介します。
さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。 ===2023.8.28===
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皆様のコメントを受け付けております。

  1. こんにちは。
    「実は、国を好きだとか、国を愛するなどの気持ちは、
    極めて大事なことなのですが、極めて微妙で危うい側面も
    持っていると私は考えています。」
    私も、そう思います。

  2. (補足)
    「国」と言うものは、人々の総体を否応なく包摂する存在であるだけに、
    徹底的に客観的に見ることが必要です。それが出来なくなった社会は、
    危うい。われわれ日本人は、それを80年程前に経験済みのはずです。
    反省することが出来ていない社会もまた危うい。

    うらべ
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