徒然日記

1月11日 その1969『逢坂誠二の徒然日記』





函館は曇りの朝を迎えた。



気温は相変わらず低い。



マイナス10度を下回っているようだ。



日中もマイナス5度程度までしか

上がらないようだ。







1)除染

朝日新聞のスクープで、

手抜き除染の実態が明らかになっている。



その後の、報道を見る限り、

環境省の対応も

決して迅速といえない雰囲気に思われるし、

担当大臣の顔も見えない感じがする。



手抜き除染は、絶対に容認できないことだし、

少しの言い訳も許されない。



それは当然なのだが、

今回の手抜き除染からも、

除染作業の限界が見えてくる。



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賽の河原では、

親に先立って亡くなった子どもたちが、

親の供養のために石を積み上げて塔を作っている。



ところが塔の完成の前に、

鬼が来て、この塔を壊してしまう。



子どもたちは、

石を積む作業を繰り返すのだが、

完成する前に、また鬼が塔を壊す。



子どもたちは、

いつまでも石積みを続ける。



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除染の現場、

特に山林原野などで作業される皆さんは、

賽の河原の石積みとまでは言わないが、

これと似たような

徒労感を味わっているのではないかと感じている。



落ち葉や枯れ枝を綺麗に除去しても、

一たび風が吹き、雨が降れば、

元の状態に戻る可能性が高い。



雨が降れば、放射性物質とともに、

その雨水は川へと流れ込む。



現場で作業している皆さんは、

この現状を目の当たりにしているはずだ。



グランドの表土を剥ぎ取る除染と違って、

山林原野などの除染は、

相当に困難を極め、

かつ元に戻りやすい。



現場で作業している皆さんは、

こうした現実を直視し、

相当な徒労感を感じていると思う。



当たり前のことだが、

放射性物質の飛散による汚染大地を、

元の状態に戻すのは、

どんなにお金をかけても

相当な困難を伴う作業なのだ。



一たび、

今回のような原発事故が発生すれば、

元の状態に戻すのは至難のことだ。



だからこその、脱原発なのだが…。







2)マニフェスト

民主党政権も国民の皆さんも、

この3年3ヶ月に渡って、

マニフェストに翻弄された。



与党の一員であったものとして、

このことに対して、

何とも言えない忸怩たる思いを持っている。



しかし、内容の良し悪しは別にして、

明確なマニフェストがあったからこそ、

政権に対する評価が可能になったという

事実は忘れてはならない。



明確なマニフェストがなければ、

そもそも評価のしようがなく、

戦後日本の国政の大半がこんな状態だった。



今回、再び政権交代が起きたが、

主権者である国民の皆様は、

明確なマニフェストを掲げることの効果を

忘れてはならない。



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マニフェストでも政権公約でも、

言葉はいずれでも良いが、

これらのものは、

実現できたかどうかだけが話題になりがちだが、

私は、そこに多少の違和感を持っている。



マニフェスト項目に関しては、

実現の有無も重要だが、

それ以前に大事なことがある。



マニフェスト項目を実現させるための

具体的な取り組みに着手したか否かが、

まず問われるべきだ。



具体的な取り組みとは、





予算案を提出する





法案を提出する





審議会などその政策を検討する場を設ける



などの政策実現過程に乗せることだ。





マニフェスト項目を評価する際には、

次の三つの視点が必要だと思う。





実現できた項目

(これはプラス評価の対象)





政策実現過程に乗せず、

実現できなかった項目

(これはマイナス評価の対象)





政策実現過程に乗せたが、

(完全には、あるいは全く)

実現できなかった項目



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実現できなかった項目であっても、

政策実現過程に乗せたものと、

乗せなかったものは、

同列の評価とはならないはずだ。



マニフェスト検証で重要なのは、

単に実現の有無だけではなく、

この政策実現過程の検証だ。





議会による否決





政策案提出前の

与野党協議などによる修正や否定





政策実現過程での不手際



などを検証することも大事なのだ。



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自治体でも、こうしたことは、

良く考えておかねばならない。



例えば、次のケースをどう考えるかだ。





市役所庁舎の移転新築を

マニフェスト項目とした市長が当選





政策実現の一歩として、

市長が調査費を含む予算案を提出





与野党逆転議会の中で、

予算案否決





その後も、

幾度か関連予算案を提出するが、

いずれも否決





結局、4年間で、

庁舎の移転新築の実現のメドはたたない



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こうしたケースの場合、

確かに結果だけを見ると、

マニフェスト項目の実現はできていない。



しかし何故実現できなかったのか、

その過程を検証すると、

単にマニフェスト未達成

と言い切ることができるだろうか。



市長当選時の民意は、

庁舎の移転新築に、

賛成だったのではないか。



その民意にそむいたかもしれない議会、

それをどう評価すべきなのか。



当たり前のことだが、

マニフェストは、

その項目実施の有無だけでの評価、

それだけでは不十分なのだ。



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マニフェスト項目にないことを

実施できるかどうかの議論がある。



マニフェストは、ある時期に取りまとめたものだ。



その後の時間の経過とともに、

新たな政策課題が生まれることがある。



それらの課題に取り組むのは当然のことだろう。



この場合、

新たな課題に取り組む正当性を説明でき、

納得が得られるかが鍵になる。



また時間の経過によって、

マニフェスト項目を

実施しない状態になった場合も同様だ。



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昨今、マニフェストや政権公約を

曖昧なものにしたほうが良い

などの雰囲気を感ずる場面があるが、それは逆だ。



マニフェスト選挙は、まだ黎明期にある。



マニフェスト選挙をさらに磨き上げて、

前進させることが重要だ。







3)タガが外れた

安倍政権が、経済対策の概要を決め、

今日、閣議決定を行うという。



今後、補正予算、新年度予算編成の、

具体的作業が加速される。



その内容は、大盤振る舞いで、

自民党本部も陳情団が目白押しだという。



厳しい財政の現状に配慮しつつ、

慎重に予算編成をしていた昨年度とは、

風景が一変している。



多額の予算措置が見込まれるため、

関連業界の皆さんも、基本的には歓迎、

批判などはあり得ない雰囲気になっている。



財政規律のタガはすっかり外れた感じだ。



しかし本当にこれで良いのだろうか。



政治の役割は、

国民の望むことを

そのまま垂れ流すことではない。



政治には、

国民が望むことであってもやらないこと、

国民が望まないことでもやるべきこと、

こうした毅然とした態度が必要だ。



政治家は、国民とともに、

より一歩でも成長することを常に念頭におきながら、

政策を進めねばならない。



国民の進化、進歩なき政治は、政治ではない。







今日も地元を歩き回って、

皆さんの声を聞かせて頂く。



真冬日、外歩きは厳しいが、

頑張らねばならない。



さあ今日も、しっかりと前進します。

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    2013・1・11 Seiji Ohsaka


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皆様のコメントを受け付けております。

  1. こんにちは。おっしゃるように、「政治には、 国民が望むことであってもやらないこと、 国民が望まないことでもやるべきこと、 こうした毅然とした態度が必要だ。」と思いますが、問題は誰がどのような過程を経てどのような理由をもって「やらないこと、やるべきこと」を決定するかですよね。ここのところを間違うと独裁になります。

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