徒然日記

1月15日 その1973『逢坂誠二の徒然日記』





今日の午前、埼玉で仕事があり、

昨夜、都内入りした。



本来、飛行機で移動の予定だったが、

東京地方が雪のため、遅延や欠航が発生し、

急遽、JRで東京に向かった。



途中、仙台の手前あたりから、

雪の影響で新幹線が遅れだし、

結局、東京には37分遅れでの到着となった。



久々のJRだったが、さすがに時間がかかる。



本来、新青森・東京間は、

約714キロを3時間24分

(最速の新幹線は3時間10分)で結ばれている。



一方、函館・新青森間は、

約164キロで2時間12分もかかる。



新幹線は平均時速210キロ

(最速の列車だと時速225キロ)、

津軽海峡線は平均時速75キロ程度だ。



この差は、当然だが、大きい。



新幹線の早期開業が待ち遠しい。







1)中央集権と依存

新しい政権になって、

地域主権改革という言葉は使わないようだ。



それはともかくとして、

地域の自主性や自律性を高め、

地域のことは地域で決められる、

責任ある自治のあり方を目指すことは、

政権が変わろうとも重要なことだ。



しかし、最近の政府の動きを見ていると、

地域の責任ある自主性や自律性を促すことよりも、

中央集権的な国に依存することを慫慂する雰囲気が感じられる上、

自治体の側も補正予算という甘い汁をチラつかされて、

ものを言える状態でもない。



何とも心が重い。



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景気経済対策で、公共事業を増加させるという。



公共事業は重要なものだし、

公共事業のことを、

必要以上に悪く言うつもりはない。



しかし今回のように、

短期間で事業を実施することになれば、

地域の自主的な責任ある判断よりも、

とにかく予算が付くから工事をやろうという傾向が強まる。



そうなれば、

その工事が本当に地域に必要なのかを、

住民の皆さんと、

ある程度の時間をかけて話し合うことはできない。



とにかく金があるんだからやろう、

その論理だけが先行し、

地域の事情は後回しだ。



ウルグアイラウンドの農業対策事業の中で、

こうした自治体の姿を嫌というほど見てきた。



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100%補助の公共事業は、ほとんどあり得ない。



常に自治体の負担が伴う。



しかし今回は、以前の麻生政権に続いて、

この自治体の負担の大部分を国が面倒をみると言う。



これはもちろん、自治体にとって有り難いことだが、

これでは、自治体の国への依存傾向を強めてしまう。



特に今回のように、

ある一定の公共事業の実施にともなって、

その自己負担分を面倒みる方式では、

特にその傾向が強くなる。



自治体の公共事業実施の有無に関わらず、

必要な一般財源を確保するほうが、

自治体は何にお金を使うか自分で頭を使わざるを得ず、

地域の自主性自律性の醸成には、

ちょっとは効果があるだろう。



そんなことは考慮もされず、

補助金の不足金額が、

事業とセットで付いてくるのだから、

こんな依存性の高いことはないし、

これほど楽な話はない。



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自治体財政の長年の悲願は、

予見性のある財政制度に一歩でも近づくことだった。



ひも付き補助金と

政策誘導型交付税の割合が高まれば、高まるほど、

自治体財政の予見性は低くなり、

自治体財政は、国の腹積もりに左右される。



だから我々は、

交付税の額を確保しながらも、

政策誘導的要素を減らそうとして来た。



 (よもや、交付税の減額を梃子にして、

 本来自治体が自主的に決めるべき人件費の削減を

 国が一方的に進めることはあってはならない。



 もちろん財政が極めて厳しい状況だから、

 自治体も適正な人件費水準にしなければならないのは

 言うまでもない。



 しかし多くの自治体は、

 国が人件費の見直しを行う以前から、

 随分と努力を重ね、その水準を引き下げている。



 こうした努力に対して、何の評価もせず、

 交付税削減をチラつかせ、

 人件費削減を迫るのは、

 如何にも旧来型の上意下達的な中央集権的手法だ。



 交付税をダシにして、政策誘導をすればするほど、

 交付税本来の役割から逸脱し、

 質の悪い交付税になってしまう。)



また、多くの抵抗を乗り越えながら、

(逆に多くの応援も頂きながら)

ひも付き補助金を

一括交付金(地域自主戦略交付金)へと衣替えしてきた。



交付税の質的向上とひも付き補助金の縮減によって、

地方財政の予見可能性を高め、

最終的には、

地方財政に地域みずからの判断が及ぶ範囲を

少しでも拡充しようとしてきたのだ。



しかし、このひと月あまりの、

地方財政への動きを見ていると、

それとは逆の方向へ進みつつあるようで、

何とも悲しい。



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我々が、平成22年からの三年間に、行ってきた方向は、

自治体にとっては、必ずしも嬉しくない側面もあったと、

私は思っている。

(実は、これは織り込み済みのことではあった。)



それは二つの理由からだ。



一括交付金も地方交付税改革も、

現行制度を手直ししながら、

徐々に理想の姿に向かわざるを得ない。



そのため、一足飛びに使い勝手が良くならない。



だから自治体からは、

制度改正の効果が、

期待ほどではないとの批判が発せられる。

(しかし、制度改正は徐々に進むものであることと、

 その改正に膨大な力が必要なことを理解している自治体からは、

 一定程度の評価の声があったのは事実だ。)



二つ目の理由は、

地域に責任ある自主性と自律性が高まることは、

本当は喜ばしいことなのだが、

自分で考え責任も伴うので、

実際には苦しいことでもある。



もっと直接的には言えば、

自己責任が問われる自主性・自律性の高まりよりも、

責任を国に転嫁しやすい中央集権的依存性のほうが楽なのだ。



建前としては、分権や地域主権改革と唱えざるを得ないが、

そうした姿が実現するのは、もっと先で良い。



せめて自分の任期の間は、今の制度で良い、

こんなことを思っている

首長や議会も少なくないものと思う。



だから少しでも、甘い汁をチラつかされると、

だれも文句を言わないし、

唯々諾々と従ってしまうのだ。



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こうした姿を見て、

自治体からも批判がないから、

良い政策なのだと、

多くの政治家は吹聴したいのだろう。



しかし、それでは政治の役割は果たせない。



どんなに皆から文句が出なくてもも、

国民の進化を考えない、

逆に国民が堕する政策を打ち出すのは、

真の政治の役割ではない。



国民にとって多少辛くても、その辛さの先に、

国民や国家として進化すること、

していることを予感できる政策を行うのが真の政治だ。



国民や自治体から、

文句が出ないから良い政治なのではない。



政治家は、このことを肝に銘ずる必要がある。



辛い時期を、じっと耐えて我慢し、

自治体の真の責任ある自由を勝ち取るのか、

目先の心地よさに心を奪われて、

いつまでも不自由な自治体に堕するのか、

我々は今、この分岐点に立っている。







それにしても都内も雪が多い。



1997年の成人の日も、

都内は雪が多かった記憶がある。



あの頃のことも鮮明に覚えている。



何かトラブルがあると、記憶が確かになる。



今の気温は1度程度、

日中は6度位まで上がるだろう。



しかし深夜には、氷点下の予報だ。



路面凍結に注意が必要だ。



埼玉までの交通機関は大丈夫か、

ちょっと気になっている。



しかし都内は雪があるが、

昨日の吹雪が嘘のように、東の空は明るい。



綺麗な朝日を拝むことができそうだ。



さあ今日も、しっかりと前進します。

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    2013・1・15 Seiji Ohsaka


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