徒然日記

3月31日 その2412『逢坂誠二の徒然日記』





今朝は、午前3時過ぎに目が覚めた。

ちょうど新月の時刻に近い。

さすがにその時間から起きてしまうと、
一日の活動に差し支えそうだ。

二度寝して、午前4時30分、
いつもの時刻の起床となった。

だが二度寝のためか、
ちょっと寝不足気味に感じている。

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昨夜、弱い雨の降っていた函館だが、
今朝は、その雨も上がり、曇りの夜明け前だ。

朝の気温は2度、日中は9度になる見込みだ。

1)羽田の国際化
羽田空港の国際便発着本数が、
昨日から従来の1.5倍に増加した。

日本各地からの海外への渡航、帰国が、
大変便利になる。

国民の利便性の向上だけではなく、
日本の空港がアジアの他の空港に、
多くの需要が奪われていた現実を思うと、
国際競争力の観点からも喜ばしいことだと思う。

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しかし国際空港としての機能を
羽田から成田に移す取り組みが、
1960年代初頭から
1970年代後半にかけて行われた。

成田空港の開設に向けて、様々な問題が発生し、
激しい闘争が展開され亡くなった方いたし、
多くの負傷者も発生した。

激しい闘争の中で、
暫定開港したのが成田空港だ。

そんな経過があって、今の成田空港がある。

こうした経過を思うと、
成田空港に関与した数多くの関係者の皆さんの気持ちを思うと、
羽田の国際空港としての機能が高まることを、
単純には喜ぶことができない。

日本の足跡を踏まえつつ、
冷静な気持ちで、日本の過去、現実、
そして将来を考えねばならない。

2)ジャンボ
ボーイング747が、今日、
日本の民間旅客機として初就航して以来、
約44年にわたる歴史に幕を下ろす。

那覇発羽田行き
ANA126便がラストフライトとなる。

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昭和45年7月1日、JALがジャンボを導入した。

導入数はJALが最大で112機、
ANAも47機と世界有数の保有数を誇ったが、
その歴史も今日で幕を閉じることになる。

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私自身もジャンボにまつわる思い出は多い。

1989年、400型が導入された直後だったと記憶している。

新千歳を飛び立った新型747-400が、
東北上空で乱気流に巻き込まれ、激しく揺れた。

機内サービスのワゴンが転倒するほどの
激しい揺れだった。

激しい揺れは2度も発生したが、
なんとか無事に羽田に着陸。

あのときの怖さは、
今も忘れられない出来事になっている。

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ジャンボの引退に関して、
さまざま思い起こすことが多い。

3)防災ヘリ
北海道の消防防災ヘリコプターが4月から、
24時間の運航体制が維持できなくなるとのニュースを目にした。

団塊世代の操縦士の退職などもあり、
4月以降は午後5時30分から翌朝の午前8時45分までは、
最大4時間15分しか運航できなくなるという。

道の防災ヘリは、
1996年の導入以来、24時間体制を維持している。

2012年度の防災ヘリの運航実績は計196回。

道民の活用頻度が高い防災ヘリだけに、
操縦士が確保できず24時間運航ができない…、
こんなニュースをサラッと聞き流す気にはならなかった。

もちろんドクターヘリなどの増加に伴って、
操縦士の必要度合いが高まっていることも一つの理由だろう。

しかし人員の問題ならば、
退職の動向や将来見通しは多少は予測がつくはずだろう。

人員の確保に関し民間に丸投げで、
キチンとした将来見通しを持っていなかったのだと推測するが、
道の責任は重いと感ずる。

見過ごせないニュースだ。

4)年度最終日
平成25(2013)年度も今日で終了だ。

色々なことのあった一年だったが、
とにかく走り回った。

全国はもとより、
アメリカ、そして2度のドイツ訪問、
さらに数多くの講演にも招かれた。

当然、次期総選挙に向けた態勢固めも、
確実に行っている。

厳しい25年度だったが、
一年前の今日と比べると、
状況は確実に変化している。

新しい年度も、確実に
実感のある時間を過ごさねばならない。

今日も、しっかりと前進します。

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         2014・3・31
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