徒然日記

1月3日 その2740『逢坂二の徒然日』(4384)

今日は土曜日だが、
正月3日目であり、週末感はない。

函館の朝の気温はマイナス7度程度。

日中はマイナス3度と今日も真冬日、
曇時々晴の予報となっている。

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昨日も朝から、
挨拶回りに走り回っている。

その合間に、今年初めて街頭で演説を行った。

多くの皆さんから新年の挨拶や激励を頂いた。

感謝、感謝だ。

1)「ご感想」
天皇陛下は、毎年、新年の「ご感想」を発表している。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/shinnen.html

今年の「ご感想」を読ませて頂いた。

僭越ながらその一部を引用させて頂く。

「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島,長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。」

天皇陛下が、満州事変に言及し、
今後の日本のあり方を考えていくことが、
極めて大切だと指摘しているが、
これは例年の「ご感想」とは全く違う印象を受ける。

戦後60年だった平成17年、
そして50年の平成7年、
これらと読み比べてもその違いが分かる。

多くは言及しないが、
天皇陛下がこうした「ご感想」を持っている、
その意味を重く受け止めるべきだと感じている。

2)満州事変
1929年の世界恐慌の影響で
日本経済は深刻な不景気にみまわれていた。

こうしたなか、軍部らの間に、
満州を植民地化して危機をのがれようとする動きが強まった。

一方、中国では二十一か条の要求以来、
排日運動が高まっていた。

1931(昭和6)年、
満州にあった日本軍(すなわち関東軍)が
奉天郊外で鉄道爆破事件(柳条湖事件)をおこし、
これを中国軍のしわざだとして強引に開戦した。

日本政府には不拡大方針があったが、
関東軍はこれを無視して戦争を広げ、全満州を占領した。

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昨年の夏、この満州事変や
第二次世界大戦に関する本を乱読し映画を観る。

そうしたものを読めば読むほど、
観れば観るほど、
日本が歩むべき道は自国の防衛に徹し、
他国には徹底的な平和主義で接することだと思う。

自国の防衛に名を借りて、
他国に対する軍事的存在感高め、
武力行使を可能にすることは、
84年前に日本が辿った道に近いのではないか。

もっと冷静に過去に学び、
もっと落ち着いて日本の将来を考えねばならない。

今日も、地域の挨拶回りを行いつつ、
街頭演説も実施予定だ。

さあ今日も、しっかりと前進します。
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        2015・1・3
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皆様のコメントを受け付けております。

  1. あけましておめでとうございます。

    逢坂さん、安倍晋三氏はこの道を辿り直して、今度こそへまはしないぞと考えているのではないか、と思うことはありませんか?
    彼の資質から言ってそうあっても不思議ではない、と思うことがあります。

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    自国の防衛に名を借りて、
    他国に対する軍事的存在感高め、
    武力行使を可能にすることは、
    84年前に日本が辿った道に近いのではないか。

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