徒然日記

9月6日 その3301『逢坂誠二の徒然日記』(4998)

函館は雨の朝だ。

そのため街宣は中止となり残念。


1)野党共闘


野党共闘に関し、色々な意見がある。

自民党の細田総務会長は派閥の研修会で、

民進党の野党共闘への危機感をあらわにしたという。


「我々が批判をして主義が違い、
政策が違うのにけしからんとか言っても、
参議院で現に結果が出ている」

 


これは本音なんだと思う。

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民進党と共産党は党が別のままで、

同じ政権になることはないだろう。

だがお互いの共通する政策の実現に向かって
協力することは当然にありうることだ。

現に今だって、各種の委員会で、
他の野党も含め共同歩調を取る場面も多い。


安倍政権を倒すという共通の目的に向かって、
今後も各選挙区の実情に応じて、
共同歩調を取ることは当然にありうることだ。

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野党共闘を批判する方には、

二つのタイプあることを知った方が良い。

そもそも野党共闘に否定的な民進党など野党からの声と、
野党共闘を恐れる与党からの声だ。

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20年前、自民党は政権復帰を期し、

政治信条をかなぐり捨てて当時の社会党と連立を組んだ。


それに比較すれば、現在の野党の選挙協力は、
実に可愛いものなのだと思う。

野党共闘批判は、誰が煽っているのか、
その正体を良く見極めた方が良い。


野党共闘の副作用はゼロだとは思わないが、
そもそも副作用のない薬などは珍しい。

対処すべき病状、薬の効能、副作用、

この三つのバランスの中で、
薬の処方が判断される。


2)風の歌を聴け

村上春樹さんの『風の歌を聴け』を久々に読んだ。


発表は、1979年。

私は、大学一年。

旺盛な知識欲と瑞々しい感性、そして潤沢な時間があった。

反面、自由になる金は少ないし、

卒業後、何をすべきかも定まっていなかった。

研究職として身を立てることを決めていたが、
どこで、どのような形態で研究の世界に入るのかは、
全く不透明だった。

そんな頃、雑誌「群像」に掲載された
それを貪るように読んだ。


それまでに出会ったことのない感覚を持った作品に感じた。

友人にも、凄い作品が発表されたと言って、

随分とすすめたと思う。

説明し難いモヤモヤした
私の心の曇り空を吹き飛ばしてくれそうな
そんな期待が、それにはあった。


あれから、37年も時が流れた。

知識欲はあの時と変わらない。

相変わらず、社会のことや、本、音楽など、

あらゆることが気になっている。

あの頃以上に、関心が深まっていることも多い。

しかし潤沢な時間は確実に失われ、
相変わらず懐具合は苦しいままだ。


そして、敏感な感性は確実に失われている。

そんな今、あれを読んで何を感ずるのか。

逆に37年前、何に惹かれて、貪り読んだのか。

そんなことを思いながら再読した訳ではないが、
再読後、そんなことを考えてしまった。


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再読して今、思うが、
37年前、モヤモヤした雲は晴れなかったのだと思う。

そして今回も、特に何かが得られた訳でも、
目の前の課題が解決した訳でもない。

以前も今も、ただそれを読んだ

という事実だけが残ったのだと思う。

それは単に時間を潰しただけの徒労なのか。

取り組むべき課題は山積しているのに、
怠けてしまっただけかもしれない。


だがもう一つの事実が存在する。

私に、こうしたことを書かせているという事実だ。

何かを発信するために目的を持って
義務的にこれを書いている訳ではない。


特段言及する必要のないことを
自発的に私に書かせている。

単にそれだけのことなのだが、
この事実は大きい。

意図した目的のある行動に埋もれている今、

何の目的もない事に突き動かされるその事実は、
ちょっとした出来事に思う。

ただそれだけのことなのだが、

これは大きなことだ。

私にとっての『風の歌を聴け』とは、

そんなことをさせる気分を醸す力があるものなのだろう。

これは貴重なことだと思う。


さあ今日も、確実に前進します。

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2016.9.6


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