徒然日記

20年10月7日 その4793『逢坂誠二 の徒然日記』(6490)

今日の函館の日の出は5時40分。

気温は9度、ついに10度を下回りました。

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日本学術会議問題、とても嫌な予感がします。

日本学術会議の活動が国のためになっていない、
国益に反する活動をしている、
こんな議論が出つつあります。

税金を使っているのだから、
国のためにならない活動をするのはけしからん、
そんな考えは当たり前と思う方は多いでしょう。

国益に沿わない日本学術会議を潰せ
との雰囲気も見えます。

注意が必要なのは、
「国益」や「国のため」という言葉です。

私もこの言葉を使うことがありますが、
この言葉の中身は、実は極めて曖昧で難しいものです。

国益とは何かとか、
国のためにとはどうすべきことなのかなどは、
実は本当のところは分かりません。

先日、私が関わった立憲民主党の綱領の中で、
「開かれた国益」という言葉を使いました。

これは自国だけではなく他の国々とも
利益を享受するという意味が含まれた言葉です。

そんなことはダメだ。

まずは自国の利益の確保だろう
と主張する方もいるかもしれません。

でもたくさんの国が自国だけの利益を優先し始めたら、
国家間の対立が激化して、
結局は自国の利益を確保することすら
難しくなる可能性もあります。

それは最終的に国民にとって不幸なことです。

だから他の国々とも利益を享受すべきだと、
私たちは考えています。

でもどの時間軸で考えるか、誰への利益なのかによって、
この考えに反する人も多いかもしれません。

ここに道筋を与えてくれるのが学問です。

多様な方法、目線によって、
国益のあり方、国のためとは何かを自由闊達に議論し、
様々な国益のあり方などを提示できること、これが重要です。

そうした議論も頭に置きながら
具体の政策のあり方を決めるのが、
私たちの役割の一つです。

学術議論に関し、政治家が簡単に国益に反するとか、
国のためにならないなどと決めつけることは自由ですが、
その議論を排除することはすべきではないのです。

それは最終的に、未知、既知を含め選択肢を狭め、
いわゆる国益を損ね、国民を不幸にする可能性もあります。

これは歴史も証明しています。

こんなことは自明のことだと思うのですが、
今だけ、自分だけ、金だけの安倍政権が長く続き、
政治家も感覚が麻痺しているようです。

極めて危険な状態です。

今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2020.10.7===

  
  

皆様のコメントを受け付けております。

  1. 1888(明治21)年1月、山県有朋は「主権線」と「利益線」という概念を提起しました。「主権線」は国家を規定する国境を意味し、この国境から離れた地域においても「国家の利益」と関係する境界線、即ち「利益線」を唱えました。
    山県は、日本にとっての「利益線」を朝鮮半島に位置づけ、軍備拡張の必要性を主張しました。

    これ以前にも、吉田松陰を初めとする多くの日本人が主張した「征韓論」は、欧米列強に対抗する為などと称しても、要は「日本の国益」を第一と考えるものでした。
    義和団の乱から始まった、北清事変への日本軍の参戦と義和団鎮圧。その後の日本とロシアとの対立激化。日本は朝鮮における「自国の利益」を守るのに必死です。

    1904(明治37)年2月に開始された日露戦争、朝鮮半島、満州の「権益」を巡っての戦いでした。その後締結された講和条約の中で、日本は朝鮮半島における「権益」をロシアに認めさせ、ロシア領であった樺太の南半分を割譲させるなど、「国益」を大いに拡大させました。

    しかし、朝鮮(大韓帝国)にすれば堪りません。他国の勝手な思惑によって、自国を「利益線」などと規定されるのですから。
    その後の日本は、アジア・太平洋戦争への突入など、自国だけの「利益」「国益」の拡大へと邁進しました。その結果味わったのは、無残な「破滅」でした。

    「日本学術会議任命拒否問題」を見ていますと、戦前の国家権力による「学問」への介入、弾圧と全く同じ構図です。戦前の偏狭で狂信的な「ナショナリズム」に凝り固まった時代にあっても、声をあげ、真実を追究しようとする善意の人たちがいました。学問を通じて「真理」を追究し、自己の良心に従って、行動しようとした、多くのた研究者たちです。

    今回のこの問題は、日本国憲法の第23条の「学問の自由」ばかりでなく、第19条の「思想及びの自由」をも踏みにじるものです。それは「我々国民」の問題であり、菅政権の国民への挑戦なのです。

    菅首相、加藤官房長官は、憲法第15条の「公務員の選定罷免権」を持ち出し、任命拒否を正当化しようとしています。「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」多くの国民が菅首相、加藤官房長官を「罷免」したいと願っています。国民が彼らを直接「罷免」できないことを、どれだけ口惜しく思っていることでしょう?

    菅首相及び加藤官房長官が考えるべきことがあります。それは菅首相の「総理大臣」、加藤官房長官の「官房長官」の「地位」や「権力」の『源泉』はどこにあるのか?ということ。それらは「主権者」である『国民』に由来するということです。僕(被雇用者)は主人(雇用主)に対し、従うべき存在です。僕は主人(主権者)が詳細な「説明」を求めている以上、それに対して、「誠意」を以って応ずべきです。

    菅首相は「前例踏襲の打破」と仰るが、自民党の「総裁選」こそ、正に『前例踏襲』以外の何者でもないです。それくらい「国民」は分っています。

    菅首相の「丁寧な説明」が楽しみです。

    逢坂さん、今日も「わしわし」と頑張ってください。

  2. このままだと日本学術会議は解体されてしまうかもしれませんね。
    政府は自ら法解釈を変えたことは横に置き、論点をすり替えて、日本学術会議は既得権益だというイメージを振り撒いています。そして「前例踏襲の打破が必要だ」という認識をメディアを通して植え付けることに成功したようです。

    政府が学問に手を突っ込むことの恐ろしさを感じていますが、それ以上に、今回の「前例踏襲の打破」が法を破っているということ、そしてそれがどう問題なのかが、世間に伝わっていないことが気がかりです。
    玉木さんたちが、日本学術会議のあり方の検討を、などと言ってますが、「リアル」野党の先生方は政府の議題設定に乗せられることなく、これ以上法を無視したやりたい放題をさせないための議論をしてほしいです。
    予算委員会に復帰される逢坂さんの質疑に期待してます。

    わしわしと頑張ってください。わしわし、とても良い響きだなぁと思います。(言葉の由来は??)

  3. 政府が『前例踏襲の打破』というならば、国民があの戦争で「大惨禍」を蒙るに至った「遠因」、即ち戦前の国家による「学問への介入・弾圧」をも、しっかり検証する必要がある。当時の政府にとって「学問への介入・弾圧」などは、躊躇することなく、従うべき『前例踏襲』以外のなにものでもなかった!からだ。

    『前例踏襲の打破』という前に、戦前の『前例』を政府・自民党は、しっかり検証すべきだ。「戸水事件(1905年)」「京大・沢柳事件(1913年)」「森戸事件(1920年)」「滝川事件(1933年)」「天皇機関説事件(1935年)」「津田左右吉事件(1940年)」これらが、政府・自民党が検証すべき『前例』だ。

    山尾志桜里氏が4日にツイッターを投稿した。要約すれば、山尾氏は「菅政権は任命拒否の説明に失敗する!」だから「臨時国会の場を、菅政権による任命拒否の説明失敗の場にすべきではない。時間の浪費だ!」

    「菅政権は6名を追加任命し、『日本学術会議の組織と人事の在り方』についての研究会を立ち上げるべきだ!」「そうすれば、臨時国会でこの件についての『本質的な議論』ができる!」と。

    驚いた!山尾氏は、問題の本質を『日本学術会議の組織と人事の在り方』だという。この問題の本質は、『菅政権』の有無を言わさぬ『強権政治』だ。国民にとって、極めて危険な『菅政権』の「本質」と「手法」!

    これを糾すことは、山尾氏にとっては、「時間の浪費」でしかないのだ!思うに、山尾氏は『菅政権』に対して、「助け舟」を出し、「秋波」を送っている。さすが、頭のいい山尾氏だ。新『国民民主党』以後のことも考えているのだろう?

    しかし、本気で『学術会議任命拒否問題』の『本質』を『日本学術会議の組織と人事の在り方』だと思っているとしたならば、山尾氏は「ピント」のずれた「頓珍漢」な人だと思う!

    彼女は『検察官』であった。多くの『冤罪事件』が起きているが、山尾氏のような、ピントがずれた、頓珍漢な『検察官』の『取調べ』を受けるならば、『冤罪事件』の発生も宜(むべ)なるかなと思う。

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