徒然日記

20年10月8日 その4794『逢坂誠二 の徒然日記』(6491)

昨日は、朝の街頭活動に続き、
事務所で打ち合わせの後、
函館市内を歩いています。

GoTo トラベルの開始もあって、お客様は戻りつつありますが、
この間の落ち込みを回復させる状態ではありません。

持続化給付金の再給付を望む声や、
廃業を検討するという声もあります。

地域の実態を踏まえて政府に対し、
対応を強く要請して参ります。

====
安倍総理は、 2013年1月28日、183回国会の所信表明演説で。

「世界で一番企業が活躍しやすい国」を目指すと表明しました。

私は、この演説に相当な違和感を覚えていました。

2013年9月21日の日記からの引用です。

==以下、引用==

総理はこの演説の中で、
日本が目指す国のひとつの姿として、 「世界で一番企業が活躍しやすい国」
であることを明言した。これは一見正しそうに見えるし、多くの方も納得しかねないことだ。しかし経済は、必ずしも格差是正や個々人の尊厳の尊重などいったことに、 配慮する必要はない。したがって世界で一番企業が活躍しやすい国になったとしても、国民が幸せになるかどうかは不確かなのだ。逆に、企業は栄えるが国民は不幸せになる可能性も否定できない。 だからこそ、政治の役割が必要なのだ。
国のトップリーダーも、経済と民主主義、政治の関係が分かっていなさそうだ。 それに加えて、多くの国民に経済紙から得られる、経済側だけの価値観が植えつけられる。これでは、日本人の多くが幸せにはなれない …、そんな気持ちを持つ私は、心配し過ぎなのだろうか。安倍総理の行うことに、多くの国民は悪くはないと感じているように思われるが、私には違和感が強い。その理由は、目指す国家像に根本的な違いがあるからだろう。世界で一番企業が活躍しやすい国よりも、
「世界で一番国民が幸せな国」を目指したい。

==以上、引用終了==

7年前に書いたこの日記を思い出して、
改めて私の目指す国の方向に
間違いがないことを確信しています。

安倍前総理の言った
「世界で一番企業が活躍しやすい国」に
今の日本が到達したのかどうかは別にして、
この7年8ヶ月で、国民は幸せになったでしょうか、
実質所得は増えたでしょうか。

結果は逆です。

企業活動がしやすい国になっても、
国民は幸せにならないのです。

企業活動を円滑に進めるために、
政治や行政による様々な仕組みづくりなどは必要なことです。

しかしそれでは不十分なのです。

ここからが政治の本領発揮です。

自由な経済活動によって、
個人の努力では埋め難い格差が個人に生じたり、
生活ができない状況が生まれることがあります。

その際に、人間の命とくらしを守る観点から、
自由経済の原則から離れて政治が、
所得の再配分をしたり個人を守る仕組みを
用意しておく必要があるのです。

私たちの綱領には以下の記載があります。

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私たちは、
公平に開かれた市場の中で、
目先の効率性だけにとらわれずに、
人を幸せにする経済をめざします。
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公平に開かれれた市場とは、
自由競争を前提とするということです。

しかし足元の利益や効率性や
生産性だけを優先するのではなく、
経済の目的として人を幸せにすることを据えたのです。

この観点からすれば、
菅総理が参考にしているとされる
デービッド・アトキンソン氏の感覚とは違っています。

しかも人間誰しもが、一気に危機に陥ることがあります。

病気、事故、災害、会社の倒産などによる合法的解雇など、
私たちの身の回りには、様々な危機が待ち受けています。

どんなに努力してもその危機から脱却できない場合もあります。

そんな場面で、個人を放り出さない社会を
私は目指したいのです。

だからこそ私たちの綱領には、
支え合いや共生の概念が含まれています。

次も綱領の一部です。

====
私たちは、
「人への投資」を重視し、
過度な自己責任論に陥らず、
公正な配分により格差を解消し、
一人ひとりが幸福を実感できる社会を確立します。
====

この「人への投資」には、色々な意味があります。

まずは国家ではなく人、
個人を基本とするということです。

教育や社会保障の概念もあります。

自助は大事なことですが、
それは道徳的な側面から
そうしたことを慫慂する場面もあるでしょう。

しかし誰しもが自力では解決できない危機に
陥る可能性があるこの社会の中で、
政治の役割は自立や自己責任を強調することではありません。

公正な配分をはじめとする支え合いの社会の構築によって、
それらの危機に備える仕組みを準備することが政治の役割です。

====

私たちの目指す社会は、明らかです。

自由競争を前提としつつ、
人間の命とくらしを守り
人々を幸せにする社会です。

単純だとか陳腐だとか味わいがない、
あるいは当たり前のことだ等の批判が寄せられました。

批判には耳を傾けますが、
どんなに高尚な文章であっても、
目指す社会や国家の姿が正しいものでなければ、
適切な政策は実現できません。

今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2020.10.8===

  
  

皆様のコメントを受け付けております。

  1. ●『世界で一番企業が活躍しやすい国』か?

    安倍前首相が掲げた、目指すべき国家像は「世界で一番企業が活躍しやすい国」だった。
    この7年8か月の結果は、個人の努力では埋めがたい格差が生じ、実質賃金は下がり、多くの国民が経済的な苦境に陥っている。安倍氏のここでいう「企業」とは「大企業」を指すのであって、「中小零細企業」は含まれてはいないだろう?安倍氏にとっては「視野の外」という感じだ。『派遣社員』も大幅に増加し、結婚もできない。2017年の『国難突破解散』が聞いて呆れる。

    国民の福利を最優先しつつ、企業活動が円滑に進められる社会。そこには政治や行政の介入も不可欠。自由放任というわけにはいきません。自由経済の原則を前提としつつも、人間の命とくらしを守るための仕組みも用意しておく。どんな場合でも、支えあいや共生によって、個人を放り出さない社会。「人への投資」を重視し、過度な自己責任論に陥らず、公正な配分により格差を解消し、一人ひとりが幸福を実感できる社会。

    「人への投資」、オランダの例もありますし、年金と違って、毎年支給額が増加するとも思われず、試算上も可能かと思ったりします。「資本主義経済」でも「社会主義経済」でもない「人間主義経済」という感じですね。自由競争を前提としつつ、人間の命とくらしを守り、人々を幸せにすり社会。まさしく『経世済民』ですね!

    単純、陳腐、味わいがないですか?日々、私たち日本人が食するのが、「お米」です。これほど有り難く、味わいのある食材もないでしょう?決して陳腐にはなりません。毎日、「パンケーキ」など、ご免蒙りたいです。いずれにしても、経済活動も法治主義も破壊されつくした、7年8か月でした。「今だけ、金だけ、自分だけ」に傾斜し、人心も荒んでしまった社会といえます。

    ●菅首相の「目指す国家像」とは?

    菅首相からは、目指す国家像などは、全く伝わってこない。「自助・共助・公助」?竹中平蔵氏のような「新自由主義者」がブレーンなのだろうか?菅氏は『携帯料金の値下げ』『不妊治療への経済支援』『デジタル庁設置』を盛んにぶち上げる!まさか、これらが彼の総選挙に向けての「政権公約」なのだろうか?

    『携帯料金の値下げ』や『不妊治療への経済支援』は、自民党が得意とする「利益誘導政治」に他ならない。正に、『前例踏襲』だ!『デジタル庁設置』は、「国民」の「利便性」を高めるといったメリットは確かにある。しかし、その先に待ち受けるのは「政府」「行政機関」による、遠慮の無い『プライバシー』への踏み込みだ。
    更には、『思想信条』を「政府」「行政機関」に知られる。正に『丸裸』にされるのだ。

    ※「ところで」

    菅総理、官房長官時代に、『携帯料金の引き下げ』を言ってましたよね?それが今ですか?沖縄の「市長選」を前に、『東京ディズニーランド』の沖縄への誘致、言っていませんでしたか?こちらの実現もお願いします!

    今日でも『ビッグ・データ』による情報漏えいを日々、感じる。「政府」が狙うのは、『監視社会』だ!我々は『中国』の例を知っている。中国国民にしても、今日のような『監視社会』の到来を知っていたならば、決して「デジタル化」など支持しなかっただろう?「自由」と「民主主義」の封殺!これが安部・菅政権、否、自民党歴代政権の「宿願」なのだ。「有権者」「国民」は騙されないほうがよい。

    安倍前首相を「安倍ちゃん」、菅首相を「菅ちゃん」と呼ぶ方たちがいる。どちらも彼らを身近で、気軽な存在に思わせる呼称だ。しかし、気をつけたほうが良い。彼らは国会議員として「権力闘争」に勝ち抜き「一国の総理」へと登り詰めた存在だ。議員人生を通じて、権謀術数、なんでもありの冷徹な人たちなのだ。

    安倍さんがタモリの『笑っていいとも!』に出演した。そこで演じたのは、気さくで、オープンな、我らが「総理」だ。一方の菅さん、パンケーキを新聞記者とほおばり、「庶民派宰相」を演じた。しかし、安倍さんの7年8か月を振り返れば、国民を無視した「強権政治」だった。「公文書」の「改竄」「廃棄」なんでもありだった。

    菅さんの『学術会議任命拒否問題』に見られるのは、「異論」を許さぬ、徹底的な強権政治だ。菅さんはある面「正直」だ。こんなに早く、『地金』を出してくれたのだから。東北出身者のなせる業かもしれない。

    いずれにしても、安倍さんも、菅さんも『虎』だということ。私たちは、彼らに愛称をつけて、あたかも「猫」のように思いたがるが、よした方がよい。彼らは百戦錬磨の『虎』なのだ。「犬」や「猫」のように飼いならすことなど、決してできない。国民は、彼ら『虎』にとっては、「ご主人様」ではなく、『獲物』でしかない。

    更に、選挙を前に忘れてならないのは、

    『苛性は虎よりも猛し』ということだ。

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