徒然日記

21年12月26日 その5238『逢坂誠二の徒然日記』(6935)

函館の夜明け前、気温は氷点下9度程度です。

空に薄く雲が広がっていますが、
天頂付近にはうっすらと星が見えます。

これほど気温が下がると
散歩に出るのをためらってしまいます。

日中も気温はあまり気温が上がらない真冬日で、
体への負荷を考えて街宣も控えざるを得ません。

1)ヤクルトとケーキの配達

公式LINEで、クリスマスのケーキ配達や
牛乳配達のことをお知らせ下さった方がおります。

私が本格的にヤクルトや牛乳の配達を始めたのは1966年です。

その頃の容器は、ヤクルトも牛乳もガラス瓶でした。

ヤクルトには大瓶、中瓶、小瓶の三種類あったと記憶しています。

小瓶が1本8円だったでしょうか(記憶違いかもしれません)。

毎日、定期的に空き瓶を出して下さるお宅ばかりではありません、

数日分をまとめての回収となることも多く、
そんな日は空き瓶を入れる布袋が一杯になり、
結構、しんどい思いをしたものです。

配達する袋を常時抱えていたのでは疲れますので、
街の角かどに、その袋を置き、
必要な本数を握りしめて走って配達する場面も多くありました。

走っている最中に手から滑り落ちて、
数本の瓶を割ったこともありました。

それをたまたま近くで見ていた父に激しく叱責された日のことは、
色々な意味があり今も忘れられない出来事です。

この詳細を語る日は来ないと思いますが、
注意力に欠けていると随分と叱られました。

1968年、私が小学校3年生のとき、
瓶からプラスチックの容器に変わりました。

これによって配達が随分と楽になりました。

プラスチック容器に変わっても、しばらくの間、
空き容器を回収していたような気がしておりますが、
記憶違いかもしれません。

瓶の容器が廃止され、先に針のついた栓抜きが、
御用済みとなったのも懐かしい思い出です。

ヤクルトにまつわる思い出は尽きません。

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クリスマスの時期になると思い出すのは、ケーキの配達です。

あらかじめ予約注文を受けたていた家にケーキを配ります。

配達時刻指定の家が多く、夕刻に配達が集中します。

木製のソリに配達の順番を考えながらケーキを積み込んで、
一件、一件、届けて歩きます。

当時は、除雪の状態も悪く、ソリがひっくり返ったり、私自身が転ぶこともありました。

そんな時、何よりも大切なのはケーキです。

ソリがかっぱがえっても(!)、何とかケーキが壊れないよう保護します。

しかしいつも上手く行くとは限りません。

そんな時は、お詫びをしながら配達をしますが、
代金を受け取れなかったり、返品されることもしばしばでした。

もちろんこちらが悪いのですから仕方がありません。

ケーキは時期限定の商品のため予約とほぼ同数しか仕入れしません。

壊れたケーキを交換できず、辛い思いをしました。

アイスクリームケーキが流行ったことがありました。

入れ物の割にケーキが小さく、
期待はずれと言われたことも、時折、ありました。

クリスマスと言えば集金と配達、遠い昔のことになりました。

2)アメリア・アレナスさん

昨日、アメリア・アレナスさんのことに言及したところ、
予想外に多くの方からの反響がありました。

しかも私の文書を探して下さった方がおりましたので、早速、紹介します。

sapporo-chokoku.jp/kaihou/10.pdf

2005年1月発行の札幌彫刻美術館友の会会報です。

また次の書籍でも言及しています。

books-cotocoto.shop-pro.jp/?pid=91610263

こちらはその内容を読むことはできませんが、
多分似たような文章を書いているものと思います。

この書籍は、図書館などには置いてあるかもしれません。

2003年のアメリア・アレナスさんの授業がこれほど話題になり、
改めて嬉しく、かつ意味のあるものに感じております。

さあ今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2021.12.26===

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