徒然日記

22年7月16日 その5440『逢坂誠二の徒然日記』(7137)

昨日の日記は、何も書かずにアップしました。

「さあ今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。」

これを書くことすら躊躇いました。

ブレない気持ちだけは表した方が良いと判断して、
最後の一行だけは書くことにしました。

町長時代以来の7千回をこえる日記の中で、
何も書いていないものをアップしたのは初めてのことです。

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亡くなった方を弔うことは、大切なことです。

日本の総理を務められた方の死に際し、
一定の格式のある葬儀を行うことに何の異論もありません。

しかし今回、政府が安倍元総理の死から
1週間も経過しないうちに国葬の実施を決めたと聞いたときは、
身体中の力が抜けるような、信じ難いことに思われました。

国葬は、国の儀式として国費で実施する葬儀です。

文字で読めば、単純なことですが、
戦後の日本では、国葬に相当慎重だったのは事実です。

安倍元総理の評価は明暗、良否色々です。

だから元総理の仕事について、
感情論ではなく公平に一定程度の整理をする必要があります。

その上で、国葬に相応しいのかどうかを落ち着いて判断すべきです。

今回は国葬に対する賛否、異論が大きくならないうちに、
岸田総理は一瀉千里で決定したように見えます。

いかにも乱暴です。

丁寧さを欠いたとしても一旦決定した国葬は、元には戻せません。

国葬のあり方は、多くの法案の賛否とは少し違っています。

個々人の心の中の価値観にも関わる問題ですし、
亡き人を弔うという厳粛なことがらです。

今回の国葬の決定は、意図しないうちに自由闊達な議論を排除する圧力になりかねません。

冷静さを欠いた政治利用にも近い政府の判断と、
今回の国葬決定に潜む将来の日本社会に与える深刻な影響を考えると、
抗議の気持ちも含め昨日の日記を、あえて何も書かずにアップしたのです。

私が小学校 2年だった1967年10月31日のニセコは、
晴れだったように記憶しています。

町民全体で黙祷を行いました。

町の体育館では献花が行われました。

安倍元総理に哀悼の誠を捧げ、
心からご冥福をお祈りすることに私は些かの躊躇いもありません。

55年前の国葬の決定が適切なものだったのかどうかを判断する材料を、
私は今回ほどに持ち合わせてはおりません。

しかし55年前のニセコでは、町のあらゆる場所で、
あらゆる人が同じ価値観を受けめていました。

国葬とは、そういうものなのだと思います。

今回の決定によって、
安倍なるものは善、非安倍なるものは悪と判断するほど極端ではないでしょうが、
私たちの社会が今以上に異論を排除した同調圧力の強い社会になることを恐れています。

多様性を尊重できない社会は怖いものです。

今回、岸田さんは、後戻りのできない重大な判断をしたとともに、
歴史を書き換えるかもしれない踏み込んではいけない世界に入ってしまいました。

こうした無分別で乱暴な判断に強く抗議します。

さあ今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2022.7.16===

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皆様のコメントを受け付けております。

  1. こんにちは。

    「無分別」というか、明らかに間違った岸田の判断です。
    凡庸な人間が、そぐわぬ地位に就いたが故に、当人としては
    何気ない言動で社会を破滅に追いやるという歴史は、
    古今東西履いて捨てるほどありますが、また、
    その一例が加わることになりかねません。
    岸田氏、果てしなく、愚かだと言う気がします。

  2. 国葬に関わらず、国の行事について賛否の議論はあって然るべきです。しかし、議論の根底にはファクトと印象論に基づかない真摯な議論が必要だと考えます。そもそも国葬令は「政治利用」とか「政教分離」の観点から廃止したものではなく、日本国憲法の施行と「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律第1条」の規定により「失効」したもの。
    アメリカでは大統領経験者が国葬の対象と規定。支持政党によって故人の評価が当然に分かれる政治実績などは問いません。フランスも然り。
    政治家も国民も、日本で国葬が法に規定されていないマイナス部分を、今こそしっかり理解するべきではないでしょうか。個々人によって或いは支持政党によって政治評価が多様なのはあまりに当然すぎるので、故人の毀誉褒貶を問わなければ国葬ができない国などありません(辞退する場合はある)。

    「金かかるから国葬ダメ」は、費用対効果を考えると日本に限らず、最もまとはずれな考え方。例えば中曽根氏の合同葬費用は約1億9千万円。仮に倍になっても4億円弱。過去の外遊費用については1回あたり2億2千万円程度の試算があります。各国から多くの要人が国葬で来日することの外交効果は外遊何回分にもなります。空港利用料、宿泊費その他、経済効果も多大だと考えられます。※もちろん両効果の評価には様々な見方があります。

    法的根拠については、今回の国葬儀は内閣府設置法によるものだと岸田首相が明言しました。国葬儀を批判する場合は、同法の運用が適正かどうかに集中すべきでしょう。ただ二重基準にならぬよう、「全国戦没者追悼式」や「東日本大震災の追悼式」なども閣議決定により行われていることも国民に広く知らしめることも必要です。

    弔意の強制については、中曽根元首相の「国立大学に弔意表明の通知が出されたこと」が批判されましたが、弔意表明の通知は儀礼的なものであり内心の強制などできる余地はありません。国の行事において、黙とうや献花が弔意の強制だという意見もありますが、ならばすべての公的行事でそれらを禁止すべきですが、もちろんそれらも内心の弔意を強いる(できる)ものではありません。

    右左なく、前に進む政治を心から期待しております。長々と大変失礼しました。

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