徒然日記

22年8月17日 その5472『逢坂誠二の徒然日記』(7169)

昨夕、帰函しました。

北海道の各地で豪雨による被害が発生しています。

こんな天候は体験したことがありません。

函館の朝、雲が少なく青空が広がっています。

朝の気温22度、日中は27度になる見込みです。

1)公文書
昨日、安倍元総理が公文書の廃棄、改ざん、隠ぺいなどを行ったことに言及しました。

それは民主主義を冒涜する許し難い行為だとの反応がある一方、以下のような反論批判がありました。

*公文書の廃棄などを行ったのは公務員であり安倍元総理ではない
*野党が厳しく追及するから公文書を廃棄せざるを得なかった。原因は野党にある
*民主主義の基盤は多数決。選挙で勝てない者が何を言っても意味がない

これらをはじめとして、とんでもない論を展開する方々がいることに驚きを禁じ得ません。

提案もしない批判ばかりとの意見も頂きましたが、
公文書の不適切な廃棄、改ざん、隠ぺいに、何を提案しろというのでしょうか。

しかし私が最もショックを受けたのは次のような意見です。

*公文書の廃棄などは、大事の前の小事に過ぎず、大した問題ではない

公文書に対し、こうした認識なのだとすれば、
いくら公文書に関する問題点を指摘しても、
重く受け止めてはもらえないのは当然です。

日本の公文書に対する認識は、こんな程度なのでしょうか。

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1972年、アメリカで「ウォーターゲート事件」が発生しました。

これに関連しニクソン大統領が、公文書の廃棄など証拠隠滅を画策します。

議会は「大統領録音記録及び資料保存法」を成立させ、
ウォーターゲート事件に関する記録を差し押さえたのです。

アメリカの議会は、公文書に関し、これほどの反応をします。

日本の国会は真逆です。

国会の多数を占める与党は、
公文書の廃棄などについて厳しい反応をしませんでした。

政府の不都合な事実を与党も一緒になって守る、これが日本の現実です。

だからこそ真に機能する公文書管理法を作りたいのですが、
公文書に対する国会の今の認識では、なかなかしんどいのが現実です。

ところでニクソン大統領は、事件発覚2年後の1974年に大統領を辞任します。
(歴代アメリカ大統領の中で、任期途中の辞任は、唯一ニクソン大統領だけです。)

その後の1978年の「大統領記録法」により、
ホワイトハウスの公務で作り出される文書は
すべて政府の「公文書」とされることになりました。

以前にオバマ大統領時代の電話メモを見ました。
アメリカではこれも公文書扱いなのです。

ニクソン大統領の証拠隠しがきっかけとなり
アメリカの公文書館は特定の組織の従属機関ではなく、
独立機関として再出発することになりました。

アメリカは公文書をこれほど重視しているのです。

アメリカと日本の彼我の差を感じますが、アメリカが特殊な訳ではありません。

私が歩いて見聞きしたフランス、ドイツ、ポルトガルなども、
日本以上に公文書を重視しているように思います。

日本以外の国々に共通するのは「記録」です。

出来あがった公文書をどう管理、保管するのかではなく、
何を公文書とするのか、日々の様々な活動をどう記録するのか、
ここに力点が置かれています。

どんなに公文書がキチンと管理保管されていても、
そこに何も書かれていなければ意味がありません。

アメリカの国立公文書館は、正式名称を「国立公文書館・記録管理庁」といいます。

単なる書庫ではなく、記録することに力点を置いていることがその名称からも分かります。

「記録なくして歴史なし(No records,no history)」なのですから、
記録が大事なのは論を待たないのですが、日本では特にここに対する意識が希薄です。

今日は、話がそれましたが、公文書は、大事の前の小事ではありません。

さらに未だに民主党政権時代の政策の不備などを持ち出して
安倍元総理の出鱈目を消し去ろうとする勢力が跋扈しています。

他者の不都合な現実と、安倍元総理が公文書を廃棄、隠ぺい、ねつ造した事実には何の関係もありません。

何を持ちだそうとも安倍元総理時代の公文書廃棄などの事実は消せません。

歴史に正対し、歴史の教訓を今と未来に生かすことは、良い国づくりに必須のことです。

そのためには公文書の適切な管理だけではなく記録が大事なのです。

さあ今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2022.8.17===

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皆様のコメントを受け付けております。

  1. こんにちは。

    公文書管理の重要性、それを蔑ろにした安倍元総理に対する批判。
    至極ごもっともです。それに対する、ピントはずれな言いがかりに等しい
    批判をする人が居ること、これは想定の内です。

    世の中、愚者で満ち溢れている、従って、何時までも愚かな政治が続く、
    と考えています。ましてや、日本には、民主主義は選挙で多数を占めた
    ものの言いなりになるべきだ考える、イロハのイの字も知らぬ人たちが
    少なからずいる社会。当分、続いていくことでしょう。

    何れ自業自得、運よく生き残れば、「あの時は仕方がなかった」と
    いって、それ以上は口を紡ぐ。決して自己の責任を言い出すことは
    ありません。私たちは、1945年8月15日を起点に始まった
    欺瞞の世界、民主主義が理解出来ない社会に居ると言っても過言
    ではないのかもしれません。

    話があっち向いて逸れました。主題は公文書管理でしたね。過日、
    今治市で起こった加計問題。マスコミが取り上げる前には、今治市
    職員は克明な記録を取っていました。その記録は、森裕子前参議の
    手元に送られて居るはずです。残念ながら、送られた時点ではのり弁。

    真面な公務員は、記録魔ですよね。自治体の会議なども克明にメモ
    を取り、まとめて上へ報告しています。それを受け取る上がいい加減。
    記録は都合の良いように扱って良いと考えている節が多々あります。
    現場の公務員の努力を上が踏みにじる事には呆れるばかり。

    メモまでも記録することは当然、それを保管し長く残すことも当然。
    こうした社会が早く来て欲しいものです。

    笑い話のような出来事ですが、あのトランプさえ、自身の犯罪的行為に
    関る国家機密文書を破棄焼却することなく、別荘に保管していました。
    犯罪になるからでしょうか。

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