徒然日記
22年9月22日 その5507『逢坂誠二の徒然日記』(7204)
気温は17度で、ヒンヤリ感があります。
日中は、21度との予報です。
夏の暑さが懐かしく思われます。
1)安倍氏国葬、実態は「内閣葬」
一昨日の毎日新聞の夕刊に、東京都立大学の木村草太教授の
今回の国葬に対する思いが掲載されていました。
タイトルは、「安倍氏国葬、実態は「内閣葬」」です。
==以下、抜粋して紹介します==
*葬儀を行うのに弔意を求めないという岸田首相の説明には強い違和感を覚える
*一般的には葬儀では喪主が弔意を求める
*人にはそれに応え弔意を示す、示さないの自由がある
*『弔意を求めません』と宣言してから葬儀をやるというのはちょっと異様
(以下、岸田首相の説明)
国民の皆さんとともに安倍元総理に対して弔意を示すこと。これは重要であると思います。ただ、国民一人一人に弔意の表明を強制的に求めるものではない。こうしたことは強調させていただいています。今般の国葬儀、国民一人一人に喪に服することを求めるというものではない。今般の国葬儀の実施によって内心の自由が侵害される。こうしたことはないと考えております。
*国葬と名付けたから、国民を無理やり弔意表明に巻き込む印象を与え、
*その打ち消しのために弔意の呼びかけができなくなった
(国葬当日の黙とうについて)
*弔意強制とは別に、プライバシーの問題が起きます
*職場や学校などで黙とうの時間が設定されれば、強制でなくても、
黙とうをするかどうかが他の人に知られてしまいます。
*上司や先生に、黙とうしないこと、あるいは黙とうしていることを
知られたくないということもあるでしょう
*弔意・敬意を示すかどうかはプライベートなことであり、配慮してほしい
*首相は今回の国葬を「故人に対する敬意と弔意を国全体として表す儀式」と定義した
*首相の言う「国全体」とはそもそも何を指すのか、疑問がある
*「国全体」について三つの解釈があり得る。
*一つ目の解釈は「国民全員」
*敬意や弔意を表したり持ったりするかどうかは憲法19条の思想・良心の自由であり、
敬意や弔意の表現については21条の表現の自由に関わる
*「もし首相が『国全体=国民全員』と考えるのなら、
国民全員の敬意や弔意を内閣が勝手に表現するということになる
*そうだとすれば、今回の国葬は内閣による越権行為で、違憲
*二つ目は「安倍氏に敬意や弔意を持っている国民の一部」
*そうすると「故人のファンクラブの行事のような行事になり、
一部国民のための私的行事ということになる
*ファンのために私的行事を行うのは、公共のために動くべき内閣の役割とはいえない
*内閣に私的行事を行う権限はありません
*そしてもう一つの解釈が「内閣」
*内閣全体という意味なら、内閣葬と名付けるべきで、
わざわざ国葬と名乗る資格はないということになります
*「国全体」をどう定義しても
「内閣には今回の国葬を執り行う権限はない」ということになる
*憲政史上最長の約8年8カ月にわたり首相の重責を担ったことなどを
国葬の理由に挙げてきた
*安倍氏の国葬については、あらかじめ定められていた基準がない
*仮に安倍氏の功績を理由とするのであれば、
「客観的な基準や審査手続きにのっとって『賞』を与えないと、
特別扱いする理由を説明できない
*現在の説明では、功績の評価はあくまで首相の主観的な感想に基づくもので、
それを表彰するなら、もはや国葬ではなく『岸田賞授与式』ということ
*岸田首相の説明によれば、今回の儀式は内閣の決定に基づき、内閣府が主催する儀式
*国会や裁判所と合同で葬儀を主催するわけではないという
*内閣葬と名付けた方が適切。国葬という名前にこだわるべきではない
==長くなりました、引用終了==
2 )国葬の実施は禍根を残す
今回の国葬は、どう見ても無理筋です。
*国葬を内閣だけで決定したこと
(ここにそもそもの無理があります。)
*国葬に関する政府の定義:
故人に対する敬意と弔意を国全体として表す儀式を国の公式行事」
(「敬意と弔意を国全体で表す」、木村先生の言うとおり国全体をどう定義しても
内閣だけで国葬を決定し、この定義のとおり実施できる意味がありません。)
*安倍元総理の功績を内閣が勝手に決めていること
岸田総理は功績に関し次のように発言をしています。
「国際社会あるいは国内の政治情勢等によって評価は大きく変わる。
事前に具体的、定数的に基準を決めるのはなかなか難しい。
これまでもさまざまな事情を総合的に勘案し、
その都度ふさわしい形を判断してきた。今回もそうした考えに基づく」
岸田総理のこの発言を聞いた時、私は本当に驚きました。
内閣が基準もなしに安倍元総理の功績を判断したということなのです。
このまま国葬を実施すれば将来に禍根を残します。
さあ今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2022.9.22===
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lin.ee/DCyVX7R
こんにちは。
木村草太教授の論考、一読、木下首相は詰んでいるということが
誰の目にも分かり、「国葬」の欺瞞が鮮やかに透けて見えます。
野田元首相の発言も併せ、この国の首相のなんと軽い事よと、恥ず
かしくなります。
さて、今朝、重大な記事を目にしました。地球温暖化に大きき寄与
すると言う二酸化炭素の排出に関る話ですが、実は、農地を耕すことに
よる二酸化炭素排出量は、IPCCの試算によれば、人類起原の全排出量の
1/5に達するとの事。既に一読されている事と思います。
https://globe.asahi.com/article/14718938
こうなると、「脱炭素社会」を真正面から誠実にとらえている人々
の視野の中に、この農耕起原の二酸化炭素排出を是非とも加えて欲しい
と思いますし、また、これを加えて議論しなければ、意味のない議論に
なるのではないかとすら思います。
また、世の中には、為にする議論を、平気で、大真面目な顔で声高に
論じる人々が居ますが、昨今、「脱炭素社会」を唱える人々の中には
そうした面々が多数、紛れ込んでいるように思います。彼らに、是非とも、
この農耕起原の二酸化炭素排出にも目を向けるんべきだと、大いなる
皮肉と警告を込めて伝えたいものです。
彼らの真意は、原発回帰論以外の何物ものでもないでしょう。
その間違いを正し、曲がった意図を粉砕する一助として、農耕起原の
二酸化炭素に関る論義は大いに意味があるだろうと思います。
この話は原子力利用など些末なことであるかのごとき、人類生存の
根源的な問題です。従って、軽々に論ずることは禁物ですが、と同時に、
最も重要な、決して避けては通れない、真っ先に議論すべき問題だろう
と愚考します。
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