徒然日記

23年4月13日 その5710『逢坂誠二の徒然日記』(7407)

都内の朝、雲がありますが、青空が見えています。日の出前の気温は9度、日中は20度、晴れの予報です。今日は下限の月です。今夜、参院大分補選、吉田ただとも候補応援のため、大分入りします。

1 )改めて新規制基準
昨日の衆院経済産業委員会では、多くの方が原子力規制委員会の新しい規制基準のことを繰り返し「安全基準」と言っています。(3月4日の日記でも書いたことですが、大事なことですので以下に繰り返します。)

2013年に原子力発電所に対する新しい規制の基準(当初は、「安全基準」と呼んでいました。)を決める際、パブリックコメントを行なっています。その中に次の意見がありました。
「安全基準は安全を保証するものではないと思うので、新規制基準に変更したほうがあっているのでは?」
このような意見や記者会見での指摘もあって、同年4月3日の規制委員会の第1回会議で、当時の田中委員長が次の発言をしました。
「安全基準というと、基準さえ満たせば安全であるという誤解を呼ぶことがあって(中略)、今日ここで皆さんのご賛同をいただければ、今後は「規制基準」ということで、私どもの文章も統一していきたいと思うんですが、よろしいでしょうか」
この田中委員長の発言には異論がなく、それ以降、「規制基準」と呼ぶようになったのです。その際の議論には次のような指摘もありました。
「基準を決めれば、それが安全を確保するということではなくて、言わばミニマムの基準であって、安全確保に第一義的な責任を有する事業者において、絶えず改善のための努力が必要であり、規制当局側としても、そういう考えで取り組んいくものである。」
原子力規制庁の原発に対する基準は、安全基準ではなく「規制基準」であることが明確に確認されているのです。

神は細部に宿るとの言葉があります。安全基準か、規制基準か、細かい話のように思われる方も多いと思います。しかし一度、「規制基準」と呼ぶと決めたことを、いつの間にか、あるいは意図的に言葉をすり替えること関し、規制委員会の基本姿勢の変化があると私には感じられます。

あの事故からたった12年、新規制基準を決めてからもたった10年、こんな時間軸の中でも安全神話が作られ、規制の虜になってしまうのです。極めて怖い現実です。

さあ今日も ブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2023.4.13===
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