徒然日記

23年5月21日 その5748『逢坂誠二の徒然日記』(7445)

函館の朝、空全体に雲が広がっています。極弱い霧雨も降っている感じですが、路面が濡れるほどではありません。気温11度。日中は15度、終日曇りの予報です。

1)中島三郎助父子妃碑前祭法要
昨日、中島三郎助(さぶろうすけ)父子の碑前祭法要に参列しました。コロナ禍で2019年を最後に実施できない状態でしたが、今年は久しぶりの開催です。法要には、三郎助の故郷浦賀からの参列もあり、私も三郎助父子に思いを馳せつつ焼香をさせて頂きました。

中島三郎助は1821年に浦賀で生まれました。1853 年のペリー艦隊来航時、黒船に初めて乗船した日本人です。その時、ペリー側は「最高位の役人以外とは面会しない」との強固な姿勢だったのですが、三郎助が同行した役人を「副奉行である」と嘘をついたとのことです。三郎助は、黒船の装備を探るため色々と船の中を見て回ったようです。ペリー側の記録には「大胆で出しゃばりしつこく詮索好き」と残されています。しかし、その詮索は、日本の造船に大きく貢献し、三郎助自身も日本の造船・操船の第一人者となったのです。戊辰戦争では、函館で新政府軍の攻撃に激しく抵抗したものの、 1869年6月25日、今の中島町で、長男恒太郎・次男英次郎と共に戦死しました。49歳でした。もちろん中島町という町名は、三郎助にちなんで名付けられたものです。

佐々木譲さんの歴史小説『くろふね』は、中島三郎助の生涯を知ることのできる、ワクワクする内容です。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2023.5.21===
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