徒然日記

松前町での戦没者遺品(日章旗)返還式/逢坂誠二の徒然日記 #7511

【23年7月26日 その5814『逢坂誠二の徒然日記 #7511】 午前3時前、激しい喉の痛みで目が覚めました。昨朝から喉の調子が悪かったのですが、炎症を起こしているようです。鎮痛剤を服用してなんとか落ち着いています。熱は36度、平熱です。
夜明け前の都内、薄雲が広がっていますが星も見えて晴れの雰囲気です。気温は25度、日中も晴れで、予想最高気温は 38度です。激しい暑さとなりますので、水分補給や適切な冷房に心がけなければなりません。

1)松前町での戦没者遺品(日章旗)返還式
今日は、松前町で日本陸軍の兵士だった鈴木秀二様の日章旗が、ご遺族でご長男の鈴木一弘様に返還されます。
この日章旗は、米軍元兵士が戦場から持ち帰って保管していたものです。今回は、NPOなど関係者の力添えによって返還の運びとなりました。鈴木秀二様は、沖縄戦終結の3日前に、沖縄本島で戦死されました。留萌市礼受の出身ですが、ご長男が現在、松前町に住んでおり、松前町での返還式となりました。私は今日、東京で各種団体などのからの要望を受けるため木村秘書が代理で出席させて頂きます。
鈴木秀二様は、出身地であります北海道から遠く離れた沖縄の地で、愛するご家族の皆さまに会うこともできず命終され、さぞかし無念のことと推察をしております。どんなにかご家族に会いたかっただろうか、どんなにか故郷の礼受に帰りたかったであろうか、そのお気持ちを思うと、本当にいたたまれず、心から哀悼の誠を捧げさせて頂きます。
本日、多くの関係者の皆様のご努力のもと、こうして鈴木秀二様の日章旗がご長男の鈴木一弘様のもとに還されることととなり、壮絶な戦いの中で散華された鈴木秀二さまの思いにも多少、報いることができるのではないかと考えております。
戦後78年が経過しましたが、戦争の不条理と残酷さを私たちは再度胸に刻まねばなりません。あらゆる戦争を憎み、2度と戦争をしてはならないと、決意を新たにする必要があります。その一方で、ロシアによるウクライナ侵攻から1年5カ月が経過しました。現在も憂慮すべき事態が続いております。私たちは、国際社会の連帯と協力によって一日も早い停戦が実現し、平穏な生活を取り戻せるための努力を重ねなければなりません。
戦争の犠牲になった多くの霊を弔らい、戦争の歴史的教訓を正しく次世代に伝え、世界の恒久平和をために、私もさらに力を尽くして参ります。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2023.7.26===

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皆様のコメントを受け付けております。

  1. 「ロシアによるウクライナ侵攻から1年5カ月が経過しました。」とありますが、2022年から始まったのではなくて、最低2014年まで遡る必要があります。一度「マイダン革命」「アゾフ大隊」とかのワードで検索してみてください。

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