徒然日記

「文学も論理も必要」/逢坂誠二#7523

【23年8月7日 その5826 『逢坂誠二の徒然日記』#7523】
昨朝、札幌から帰函し、その後、苫小牧に行く予定でした。ところが飛行機の故障で、新千歳行きが欠航し、苫小牧行きは断念。昨日の午後は、神様がくれた休日(半日ですが)としました。
夜明け前の函館は空全体に雲が広がっています。気温24です。日中も雲が多く、予想最高気温は 27度です。道内も沖縄や九州も、雨と風の被害が懸念されています。十分な注意が必要です。

1)文学も論理も必要
昨日、日本の科学技術論文の世界ランクの続落を一つの例にして、教育に力を入れることを話す動画をアップしました。そうしたところ、科学技術論文の世界ランクの低下は、民主党政権が招いたものなどの的外れな反応が多く寄せられ閉口しました。もっと現実をしっかりと見る必要があります。そんな批判は傍に置くとして、教育に関する私の懸念は多くの分野に及びます。これも例えばですが、高校の国語教育です。(以前にも書いていますが。)
高校の国語授業でこれまでは、「現代文」という 1つの科目で扱ってきた評論と文学を、昨年4月から「論理国語」と「文学国語」という2つの科目で学ぶことになり、どちらかを選択することになったのです。(私の結論は、どっちも大事なもので、選択制にした意味がわかりません。)
「論理国語」では、実社会において必要となる、文章を論理的に書いたり批判的に読んだりする資質・能力の育成を重視しています。
「文学国語」では、深く共感したり豊かに想像したりして、書いたり読んだりする資質・能力の育成を重視しています。
確かに論理的にモノを書いたり伝えたりする技能は重要です。しかし私たちは技能を身につけるためだけに学習をしているわけではありません。具体的に表現できない抽象的な感覚を含めた曖昧な概念を受け入れ、またそれを発信する力を養うことも私たちには必要なことです。文学作品などの学習はそうしたことを学ぶというか、そうした感性を養う重要な場なのです。つまり論理も文学もどっちも大事なのです。
どっちも大事ですが、人生の中で先に学ぶべき、特に若い頃には、論理や技術よりも感性だと私は考えています。だからそれを選択制にした、今回の判断は、全く誤りだと私は思います。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2023.8.7===
ネットによる個人献金はこちらです。
go2senkyo.com/seijika/123556

逢坂誠二の公式LINE からご意見をお寄せ頂く場合は以下から登録をお願いします。
lin.ee/eDi8g6I

まぐまぐの送信登録・解除は以下です。
http://www.mag2.com/m/0000258665.html

  
  

皆様のコメントを受け付けております。

  1. こんにちは。

    高校生の国語の問題、正に言われる通りですね。
    今回の高校生の国語教育の関する政策は、亡国政策だと思っています。
    経済界からの横やりが強く感じられます。それと同調する自民党文教族
    の暗躍も想像されます。

    自民党文教族の暗躍、経済界の横やりと言えば、英語教育への干渉も
    看過できないものがあります。例の英語入試改革と称し、英語3技能
    と称してスピーキングを入試に入れる問題。頓挫しましたが、
    特定企業と癒着した自民党文教族の横暴は目になまります。

    また、経産省の絡む「GIGA」狂騒曲。私事ですが、地元の
    教育委員会は、夏休みの宿題に「スタディサプリ」という良く
    知られたICT教材を宿題とした課すよう、学校側に指示した
    そうです。純然たる民間企業の応援ですが、それを置いても、
    小中学生がデジタル機器を長時間使う事の危険性を何も考えて
    いない無知蒙昧さには、呆れてしまいます。

    ご参考までに、東北大学の研究成果をご覧ください。
    驚きの結果です。

    「研究者が思わずゾッとした「子どものスマホ使用時間と
    偏差値の関係」小中学生7万人調査でわかった衝撃の事実」
    https://president.jp/articles/-/69373
    ―――――――――――
    うらべ

記事に投稿

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です