徒然日記

民主主義を守る/逢坂誠二 #7753

【24年3月24日 その6056『逢坂誠二の徒然日記』#7753】
夜明け前の函館、スッキリした晴です。日の出が近く、星は見えません。気温零度。日中も晴、11度まで上がります。夕方には雲多くなる見込みです。

1)民主主義を守る
21日の東京新聞の社説で、世界で民主主義陣営の勢いが衰えていることへの言及がありました。

スウェーデンの調査機関V-Dem(多様な民主主義)研究所は2023年時点の「自由民主主義指数」が1985年の水準に後退したとの報告書を発表しました。つまりアメリカと旧ソ連による東西冷戦時代の状況に戻ったことを意味します。

調査対象の179カ国・地域のうち、民主主義は91、権威主義は88。民主的な社会で暮らす人々は29%(約23億人)に減り、権威主義は71%(約57億人)で15年連続の増加だと意います。

私の個人的な思いですが、言葉を選ばすに言えば、民主主義は贅沢な仕組みです。

生活にある程度の余裕があり、自由な時間が確保できければ、なかなか機能しないのが民主主義です。民主主義は、重要な意思決定を、その構成員である国民が行う仕組み、考え方です。つまり国民が最終決定権(主権)を持っています。

主権者である国民が、日々の生活の中で、生きることに精一杯で金銭的にも時間的にも余裕がなければ、他者のことや、公のことに思いを巡らすことは簡単ではありません。

民主主義を機能させるためには余裕が必要です。もちろんどんな社会であっても、全ての構成員に同じような余裕があるとは限りません。

私は、ニセコ町長時代、積極的な情報公開と住民参加を基本にして町政を進めました。そんな中で、「逢坂は、やっぱり馬鹿だな。そんなことは時間や金のある奴にしか有効じゃないんだ。なに格好をつけているだ。日々、借金返済に追われ、生きることに精一杯な住民には、情報公開も住民参加も無意味、絵空事なんだよ」、こんな意味合いのことを何度か言われたことがあります。

まさにその通りだと私も感じましたが、民主的な地域づくり、町民が主権者である地域づくりのために情報公開や住民参加は必須のことです。

地域にには、色々な方がおります。国も一緒です。

お金のある方ない方、時間的な余裕のある方ない方、政治や行政に関心のある方ない方、今は政治や行政に関心がなくても後に関心を持つようになる方、あるいはその逆の方、特定の分野に強い関心を持っている方など、多種多様の方々がいる、これが社会の現実です。

こうした社会の現実を念頭に置きつつ私は、様々な情報提供と住民参加などの機会を確保し実行してきました。その情報提供の利用者や参加者が少ないから無駄、中止しろとの批判もあったのですが、あえてその機会を継続維持しました。不要と思われる情報公開や参加の場であっても、いざというときに必要になる場面があると考えて、様々な仕組みを、ある種、嫌がられながらも提供してきました。

30年近く前から、町の様々な課題について、町民の皆さんと学び、議論し、理解を深めるための「まちづくり町民講座」なるものを毎月実施しておりました。

それほど参加者が多い講座ではなく、なぜ町長が毎度、毎度、こんなことをするのかとの疑問を持った町民や職員も少なくなかったと思います。確かに財政や福祉のことなど、数人の参加者しか出席しない講座も多々あったと記憶しています。しかし介護保険料を考える講座やゴミの最終処分場などに関しては、予想を超える多くの方に参加頂きました。

町民の皆さんは、自分にとってそれら課題の重要度や関心の軽重、自分の時間など余裕、こうしたことを総合的に勘案して主権者としての振る舞いをするのです。こうした主権者の多様な必要に応じられるように、民主主義を機能させる手立てを常に準備しておくことが大事なのだと思います。

逆に為政者が、民主主義を維持する努力を怠ったなら、民主主義は一気に劣化します。また生きることに少しでもある種の余裕のある社会を作らねばなりません。

今の世界は、余裕を持って生きられる方々が減っているのかもしれません。為政者が、あえて手間のかかる民主的手法を避けているのかもしれません。世界全体のことは、必ずしも十分に把握できておりませんが、私たちの国、日本が非民主的な方向に進まないよう、最大限の努力をしなければなりません。

それが政治家としての責務の一つだと私は考えています。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2024.3.24===
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皆様のコメントを受け付けております。

  1. こんにちは。

    民主主義にに関心のない人々、関心があってもそれどころではない人々。
    多くいます。世の半数以上は居るのではないでしょうか?

    時々、思う事があります。大変危険な考えですが、
    「世の中が民主的であるために、敢て、非民主的手法を取らざるを得ない」
    という考えです。皮肉なことですが、こうした考えを一瞬でも持つほどに
    、この先は危ういと感じている故でしょうね。

    逢坂さんはどうでしょうか?

    うらべ
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