徒然日記

災害時の選挙/逢坂誠二 #7776

【24年4月16日 その6079『逢坂誠二の徒然日記』#7776】
昨日は、島根を往復し、夕方には国会での会議に出席しました。寝不足状態で、今朝は寝坊し、午前6時起床です。都内の空、薄雲が広がっています。朝の気温は既に15度、日中は22度になる見込みです。昼頃から、晴れ間が広がる予報です。

1)災害時の選挙
私は、1983年4月、自治体の職員として、社会人生活をスタートしました。

1983年は統一自治体選挙の年です。採用と同時に選挙管理委員会の職員としての併任発令を受け、自治体選挙の事務に従事しました。また同年6月には参院選挙、年末には衆院が解散され、国政選挙の事務も含め、短期間に三つの選挙事務を経験することができました。

それ以降、役所を退職するまでの11年間に、統一自治体選挙3回、国政選挙8回の選挙事務を経験させて頂きました。こうした経験の中で、いくつか記憶に残る選挙があります。

1993年7月12日午後10時17分、北海道南西沖地震が発生しました。

震源地は、北海道奥尻島北方沖の日本海海底。マグニチュードは7.8で、震源に近い奥尻島の揺れは震度6と推定。(当時、奥尻には地震計がなかっため推定なのです。)火災や津波で死者202人、行方不明者28人の大きな被害となりました。当時の奥尻町の人口は約4千7百人、この町で、200名以上の死者行方不明者となったのですから、いかに大きな被害であったかが分かります。

この時期は、7月4日公示、7月18日投票の第40回衆院総選挙の真っ最中でした。

奥尻町は、地震の被害で大変な状況の中でしたが、結局は、予定通り選挙を実施しました。

現在、衆院憲法審査会では、大規模災害時に、衆院議員の任期を延長すべきとの議論が出ています。私は、この議論は非常に安易だと思っています。

本当に選挙ができないケースがあるのかどうか、災害に強い選挙のあり方はないのか等の議論、工夫が十分にされているようには見えません。とにかく何でも良いから憲法を変えれば良い、そんな議論に思われて仕方がありません。

私の選挙事務の経験も踏まえて、災害時の憲法のあり方を、今後、考えてみたいと思います。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2024.4.16===
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