徒然日記

演説/逢坂誠二 #7810

【24年5月20日 その6113『逢坂誠二の徒然日記』#7810】
昨日は、乙部、熊石、函館、北斗を回り、最終便で上京しました。午前4時の都内、弱い雨が降っています。気温は15度程度です。日中も雨がちで夕方には曇りになる予報です。予想最高気温は23度です。今日は小満(万物が勢いよく成長して、天地に生気が満ちる気持ちの良い時期)です。

1)演説
大辞林によれば、演説は「大勢の人の前で、自分の主義・主張や意見を述べること」です。

私たちは、当たり前のようにこの言葉を使っていますし、実際に演説も行っています。ところがこの言葉は、新しい言葉だったことをつい最近知りました。

演説は、スピーチの訳語として、1873年頃、福沢諭吉が考えたものだと言います。ロングマン英英辞典で、speachは、以下のように記載されています。

a talk, especially a formal one about a particular subject, given to a group of people

グループに対して行われる、特定の主題についての正式な講演、こんな意味でしょうか。

大勢の人々を対象に、言葉で何かを主張することは、江戸時代までは一般的なことではなかったのです。大学の弁論部などに所属していた皆さんには、常識的なことなのかもしれませんが、恥ずかしながら、私は知りませんでした。

福沢諭吉は、訳語を考えただけではなく、仲間と演説の練習を開始し、実践も行っています。

演説は海外から渡来したものだったため、日本語による演説は可能かなどという論争もあったようです。もちろん日本語でも可能なのは当たり前のことですが、150年前はそんな状態だったのです。

頻繁に行っている演説ですが、そのあり方を見直す、良い機会となりました。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2024.5.20===
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皆様のコメントを受け付けております。

  1. こんにちは。

    そう言えば、演説は福沢諭吉の訳語でしたね。

    「大勢の人々を対象に、言葉で何かを主張することは、
    江戸時代までは一般的なことではなかったのです。」のは、
    そうする事は民衆の扇動と見られて、武をもって執行される
    武家政治の世界においては、厳に慎むべきことだったという
    事でしょうね。

    それゆえに、明治になって”演説”が「海外から渡来したもの
    だったため、日本語による演説は可能かなどという論争もあった
    ようです。もちろん日本語でも可能なのは当たり前のことですが、
    150年前はそんな状態だった」ということでしょう。

    つばさの党事件で選挙の自由を奪いかねない規制の縛りを掛けよ
    と言う、ある方面の人々が湧いて出いますが、封建制の時代に
    戻りたいかのようで、滑稽です。

    しかし、例の、今回のつばさの党事件とは全く性格を異にする
    「札幌野次規制問題」に見られる国家権力の暴走を許さず、
    また選挙の自由を守るべく、確りと監視の目を見開き、行うべき
    建設的議論を期待したいと思います。
    ――――――――――――――
    うらべ

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