徒然日記

マジソン・バッグ/逢坂誠二 7847回

【24年6月26日 その6150『逢坂誠二の徒然日記』7847回】
昨日、帰函予定でしたが、都合により都内滞在です。午前4時、空全体に薄めの雲が広がっていますが、明るい雰囲気です。24度程度です。日中も雲が多めで、晴れる時間もありますが、雨になる時間もありそうです。予想最高気温は29度です。

1)マジソン・バッグ
24日付の東京新聞に、マジソン・バッグの記事が載っていました。その写真を久々に見て、懐かしさが一気に込み上げてきました。そして中学時代、細身のズボンにあのバッグをカッコ良く持っていたN君のことを思い出しました。

幼稚園の時から一緒だったN君の家には良く遊びに行きました。彼の家は、町でも有名な美容室。いつも数名の美容師の卵、助手さんがいて、声をかけられると少し恥ずかしくなったものです。N君には、双子の兄と姉がいました。何でもモノを知っている、私には憧れの2人でした。

N君が責任者になって、私が児童会長選挙に立候補したことがありました。放課後、彼の家で、選挙用のポスターを作成しました。「おおさかせいじ」と下手くそな文字が並ぶポスターです。

ところが選挙が始まる翌日、N君が貼り出したポスターは下手くそなポスターと全く別のものでした。全体が黒一色、白抜きで「おおさかせいじ」と書かれています。他候補のポスターは赤や緑、黄色などカラフルなマジックで描かれていますが、私のポスターは真っ黒、まさに斬新そのもので、一瞬にして学校中の話題になりました。先生たちも目を丸くしています。

「誰が作った。お前か」
「俺が作れるはずないだろう」
「じゃ誰?」
「アキニだよ、アニキ。俺達が作ったポスターがあまりにも下手くそだったので、俺が寝ている間に、作ったんだって」

そんなことをはじめN君とは、随分と遊びましたし、色々なことをやりました。そしていつもファッションのセンスも良く、何をやらせても、まさにカッコ良かったのです。

そんな彼が持っていたマジソン・バッグは、またたく間に、学校中に広がりました。私も欲しかったのは当然です。当時のニセコには、そんなものは売っていませんでしたし、どこで買うのかも知りません。1度だけ、ダメもとで「買って欲しい」と親に言ったことがありますが、一蹴されたのは、当時の我が家では当然のことでした。

持つことはできななかったマジソン・バッグですが、あのバッグにまつわる思い出は尽きません。

N君とは、その後も付かず離れず、一定の距離を保って仲良くしていたのですが、30歳代後半だったでしょうか、自殺してしまいました。何が原因なのかわかりませんが、もっと側にいて、こどもの頃のように遊んでいれば良かったと、今も後悔しています。

さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2024.6.26===
逢坂誠二への個人献金はこちらです。
ohsaka.jp/support/donation.html

  
  

皆様のコメントを受け付けております。

記事に投稿

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です