徒然日記

7月21日 その2524『逢坂誠二の徒然日記』





函館は曇の少ない朝を迎えた。

スッキリ感が広がる。

予想最高気温は、24度だ。

1)平和ボケ
過日、ある方と集団的自衛権について話していると、
ポツリと、その方が言った。

「日本は平和ボケだから…」

本人は、何気なく言ったのだろうが、
それ以来、私はこの言葉が気になって仕方がない。

日本は、確かに戦後戦争をしていない。
ある種の平和状態を保つことができた。
平和な状態を謳歌していると言っても良い。

これは大変幸せなことであり、
本来、批判的に言われる筋合いのないことだ。

平和ボケとは、定まった定義はないのだろうが、
長く戦争を直接的にしてない日本及び日本人が、
いつも戦争や国際紛争、テロに晒されている国々に比較して、
安全保障などに対する意識の低さを揶揄する場合に多く使われる。

過日、私と話していた方は、
日本は平和ボケだからダメであり、
集団的自衛権の行使は仕方がない
と言いたげな雰囲気に感じられた。

つまり武力なしで平和が得られると考えること事態が
平和ボケとでも言いたげな雰囲気なのだ。

なぜ安全保障に対する認識を高めることが、
武力行使をする範囲の拡大に直結するのだろうか。

平和はタダではないとの指摘も多い。

この指摘の裏にも、
だから武力行使権限の強化すべきとの
意味合いが含まれることが多い。

武力行使は、本当に平和をもたらし、
その地域を安全にしたのだろうか。

少なくともイラク戦争は違う。
あの戦争で、イラク社会のある種の秩序が崩れ、
現在、イラクは分断の危機にある。

湾岸戦争はどうだろうか。
最終的に9.11の芽を作ることになったり、
今のロシアや中国の軍拡への引き金になったのではないか。

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安全保障に対する意識を高めることは重要だが、
意識を高めることは、
即、武力行使範囲の拡大ではないはずだ。

安全保障に対する意識を高め、
世界の平和に貢献するためには、
当然に考えるべきことは平和的な手法だろう。

それが何故か国際平和に貢献するといえば、
即、武力行使範囲の拡大に直結するのは、
あまりに思考の範囲が狭く、
これこそが思考停止状態なのではないか。

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日本は国際平和のために汗を流していないなどと
主張される国民も少なからずいらっしゃる。

この際の汗を流すの意味も、
武力行使をさす場合が多い。

国際平和に貢献するために日本が汗を流すとは、
これまでの日本の平和主義が不徹底であり、
平和的な手法をさらに極める、
なぜこうした方向に議論が展開しないのだろうか。

そんなことは非現実的で夢物語と批判も聞こえてきそうだが、
それこそが思考停止状態かもしれない。

2)また金か!
多くの人にとって嫌な政策を推進する際に、
政府が多額の交付金などを積み上げて、
その嫌な政策の受け入れが地域振興になると思わせて、
政策を強行するケースがある。

こうした場合、
当初、当該地区の住民の皆さんは反対するが、
交付金の増額と同時に住民の賛否が分断され、
最終的に、その交付金の魅力に勝てずに
政策を受け入れる場合が多い。

福島第一原発も、最初は反対していた首長が、
地域振興を考えて最後は推進に転換したが、
原子力政策はこの典型だろう。

安倍政権は基地政策にもこの手法を多用する考えのようだ。

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報道によれば、
安倍政権は在日米軍再編で基地負担が増える自治体に、
新たな交付金制度を作る方針を固めたという。

これまでは市町村への交付だったが、
都道府県にも交付できるようにする。

11月に控える沖縄県知事選をにらみ、
米軍基地が集中する沖縄対策、
さらに米軍機能が強化される岩国基地対策、
こうした思惑があるようだ。

今の米軍再編交付金制度は2007年に始まった。

昨年度までに41市町村に対し、約550億円が交付された。

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安倍総理は、
米軍基地の受け入れに賛成する自治体を金銭面で優遇し、
米軍基地全国展開の呼び水としたいようだが、
金さえ払えば、住民は納得するという
住民の弱みにつけ込んだ嫌らしいやり口だ。

こうした衆愚的、愚民的発想の政策を極力減らすこと、
これが政治本来の役割なのではないか。

札びらで住民の頬を叩くだけのやり方は、
問題を深刻化させるだけだ。

さあ今日も、しっかりと前進します。
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        2014・7・21
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