徒然日記

11月20日 その1578『逢坂誠二の徒然日記』



昨夕は、京都での仕事に引き続き、
関西で用務があったため、
今朝は京都からの発信です。

雲が多めの朝です。

1)地域主権改革と新しい公共
昨日は、
民主党京都府連主催の
政治スクールで、
「地域主権改革と新しい公共」
をテーマに講義をしてきました。

地域主権改革と
新しい公共は密接な関係があります。

しかし、このことについて、
あまり語られることはありません。

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地域主権改革の目的は、
色々な側面がありますが、
生活に身近な仕事をなるべく、
住民に近い政府が責任を持って判断し、
実行できるようにすることで、
真に豊かさを実感できる社会をつくることです。

これによって
地域の実態にあった仕事が実現し、
結果的に効率性が生まれ、
効果的なものとなります。

根底には、補完性の原理の考え方があります。

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一方、私たちの社会のありようを考えた時に、
公共的な仕事を政府(官)だけが行うのではなく、
市民が重層的に多くの活動を行う方が、
民主主義がしっかりすると同時に、
個々人も社会の一員として、
生き生きとした人生を送れるとの指摘があります。

トクヴィル、ハーバマス、パットナムの指摘です。

この政府(官)と個人との中間的領域で、
市民的公共圏を重視するのが、
新しい公共の考え方です。

緩やかな絆による、多様な公共の担い手が、
自発的な活動ができる社会を
めざそうというものです。

こうすることによって、
相手の立場を思いやったり、
意見の違いを認識しながら納得感が高まったりするばかりか、
政府の活動が多くの目線でチェックされ、
効果的、効率的なものになる可能性が高まります。

もしこうした活動がなく、
単に政府と個人の関係だけなら、
個人は税を支払い、行政サービスを要求する、
政府は税を徴収し、個人要求の諾否を判断する、
二項対立関係が強まって、
そこには理解や納得などが生まれる余地が少なくなります。

結果的に、白か黒かといった、
先鋭的は価値判断が基礎となる、
激昂型の批判を基本とする民主主義になりかねないのです。

公共的な役割を政府だけのものとせず、
政府と個人との間の中間的な領域で、
様々な活動を行うことによって、
納得や理解を基本とする、
生きがいのある、
つまり個々人の居場所や出番のある
社会になる可能性が高まるのです。

これが新しい公共の考え方です。

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こうして考えると、
中央政府が多くの権限や財源を握っていては、
この社会の実現はできません。

だからこそ地域主権改革が必要なのです。

地域主権改革は、
権限や財源の移譲、
義務付け枠付けの廃止などが、
真の目的ではありません。

これは手段です。

多くの国民が社会活動に参画し討議することにより、
自分が生きている地域に貢献し、
よき社会を担う社会の一翼を担うことや、
自分が生きている意味を
社会の中で確認できるようにするなどの思いが
底流にあるのです。

この考え方の中で、
重要なのは討議、議論ですが、
これはまたいずれ書きます。

今日は都内の大学で講演があります。
そのため午前のうちに都内へ移動します。

さあ、今日もしっかりと前進します。
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   2011・11・20 Seiji
Ohsaka

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