徒然日記

9月10日 その3305『逢坂誠二の徒然日記』(5002)

昨日、札幌市内で、水産団体、林業団体などから、
今回の台風被害や来年度の予算に関する要望を伺った。

また農業団体の事務所も訪問し、
そこでも台風被害のことについて、

話を聞かせて頂いた。

夕刻には、北海道税理士政治連盟懇親会に出席をした。

今年は、政治連盟が設立され50年の節目となるが、
設立時から所属されているベテラン税理士さんもおられ、

懐かしい話を含め税制について、

いろいろな話を聞かせて頂いた。

そんなこともあって、昨夜は札幌に宿泊し、
今日は朝の飛行機で帰函となる。


帰函後は、地元を歩き回る予定だ。

1)改めて原発を思う

多くの皆さんの原発の危うさに対する理解が、
以前に比較すれば随分と進んだ。


だが未だに、原発の発電コストは安く、
二酸化炭素を発生させないクリーンなエネルギーだと
信じ込んでいる方は多い。

さらなる安全対策、使用済核燃料処理、

廃炉などのことを考えると、

その費用は全く不透明であり、
原発の真の発電コストが分からないのが現実だ。

原発は、発電時には二酸化炭素を発生させないが、

建設や維持管理、廃炉などの工程で
莫大な化石燃料を使用している。

そう考えると、二酸化炭素を発生させない

エネルギーとは言い難い。


仮に事故が発生しなくとも、
使用済核燃料の再処理や最終処分の過程で、
環境に相当な負荷を与えるのは否定できない。

自動車、飛行機、火力発電など、あらゆる装置や仕組みは、

100%完全なものではなく必ずリスクが存在し、
トラブルや事故が発生する。

飛行機などに見られるように科学技術は、
時には人命を奪うようなことも含め
試行錯誤を積み重ねて進化してきた。

原発だってそれと同じことであり、

リスクばかり強調しても意味がないし、

ゼロリスクの発想では社会は進歩しない。

こんなことを主張する方がいる。

しかし原発の事故とその他事故は、

本質的な性質が全く違っている。

飛行機や火力発電の事故でも死亡者が
発生することがありそれは悲惨なものだ。

しかしこれらの事故は、一定時間が経過すれば、

事故被害の程度は固定化し確定する。

失われた命の数も、
事故後ある一定時期からは増えることはない。

一方、原発の事故は、福島第一原発の例を見れは分かる通り、

事故発生後5年が経過するというのに、

未だに被害の程度は固定化せず、広がっている。

人体や環境への影響もまだ未確定なままだ。

今後、福島第一原発から漏れ出た放射線や、
今も漏れ出ている放射線、

さらに今後も漏れ出るかもしれない放射線が、
人体や環境にどのような悪影響を与えるのか予測がつかない。

つまり原発事故は、
その事故の影響が収束しないこと、
これがその他の事故と大きく違う点だ。


一般の事故は、
その事故を被った人に被害は限られ、
被害の及ぶ範囲も一定の場所に限られる場合が殆どだ。


しかし重篤な原発事故被害は、
世代を超えて悪影響を及ぼす可能性がある。

一般の事故の悪影響は個人にとどまるが、
原発事故の悪影響は、個人を超えた人類の存在、

そのものに及ぶ可能性もある。

環境についても、何世代に渡って
利活用できない空間を作り出すことになる。

原発とその他の事故には、
こうした本質的な違いがあることを

認識しなければならない。

原発と試行錯誤を重ねつつ進化したその他の科学技術と、
同列に論ずることには無理がある。

また原発には、万が一の事故に備えて、

その損害を引き受ける民間損害保険会社が存在しない。


それは事故の被害程度が想定できず
保険料設定が不可能だからだ。

仮に保険料を設定できたとしても、それは膨大な額になり、
現実的な保険料ではないはずだ。


一般の飛行機や自動車は、
万が一の事故に備えて損害保険に加入している。

火力などの原発の以外の発電も同様だろう。

この損害保険料も発電コストに含まれているはずだ。


損害保険に加入できない原発は、
その他の電力と比較して、あたかも市場原理が働くかのように勘違いして、
そのコストが高いとか安いとかの議論ができる筋合いのものではない。

こんな実態なのに、コスト論が横行しているのは、

経済学という観点からは完全な誤りと言える。

こんなことは、多くの人が知っているはずなのに、
原発の経済合理性を議論するのは欺瞞としか言いようがない。


条件の違うデータを、
同じグラフにプロットしてはならない。

これは科学的議論をする際の常識だが、

科学の粋を集めたと称している原発の議論に関して、
基礎的な科学のルールが抜け落ちているのは不思議なことだ。

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今日のこの話に類することを、

以前もこの日記に書いたし、

幾つかの講演でも話をさせて頂いた。

だが原子力発電に対する真の危機感が
政府関係者などに広がらないのは何故なのか、

頭を抱え込んでしまう。

反原発に言及すると、
それは宗教のようなもので非論理的だという方もいる。

非論理的で、好き嫌いで
原発がダメだと言っているわけではない。


粘り強く訴え続けねばならない。



さあ今日も、確実に前進します。

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                 2016.9.10

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