徒然日記

8月15日 その3644『逢坂誠二の徒然日記』(5341 )

一体どうなっているんだ、
と大声をあげたくなるような
不純な天候が続いている。

8月に入ってからの函館は、
夏らしい日がほとんどない。

今日も朝から小雨。

気温も18度、相変わらずの低温状態が続く。

こんな低温のままお盆も過ぎ、
いつの間にか秋に突入する時期が迫っている。

まさに短い北国の夏となる見込みだ。

今日は、朝から今金に向かう。

今日の日記は、その車内で書いている。

1)72年目の夏

今日、8月15日は、
一般的には終戦記念日と呼ばれている。

日本で、太平洋戦争が終結した日については諸説ある。

一般的には今日が、その日だと思っているが、
各国・各地域で集結日は違っている。

主な歴史的事実は以下だ。

1945(昭和20)年8月14日
日本政府がポツダム宣言の受諾を連合国各国に通知した日

1945(昭和20)年8月15日
玉音放送により日本の降伏が が国民に公表された日

1945(昭和20)年9月2日
日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた
降伏文書(休戦協定)に調印した日

1952年(昭和27)年4月28日
日本との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、
国際法上、連合国各国(ソ連等を 除く)と
日本の戦争状態が終結した日

1982(昭和57)年4月13日
8月15日を「戦没者を追悼し平和を記念する日」
とすることが閣議決定

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こんな歴史的事実があるが、
例えば千島の占守島では8月18日から21日まで、
ロシア軍との戦闘が続いていた。

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私の父が生まれ暮らしていた樺太でも
8月15日以後もロシア軍との戦闘が続いた。

この戦いの犠牲者は五千人とも六千人とも言われるが、
はっきりとはしていない。

この時の様子は、生前の父が、
あまり多くではないが語っていた。

14歳だった父は、
戦争が終わったことも知らずに、
南下してくるロシア軍から逃れるため
逃げ回っていたという。

その途中で、私の義伯母と二人の従兄が、
ロシア軍の機銃掃射によって撃ち殺された。

この三人は、戦闘には何の関係もない
純然たる民間人だが、8月15日以後も、
こんなことが行われていたのだ。

8月20日、私の伯母が大泊港から
引き揚げ船で北海道を目指した。

ところが、8月22日、
留萌沖で国籍不明の潜水艦に撃たれ
帰らぬ人となった。

この時の犠牲者は千七百名以上。

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確かに8月15日は大きな節目だが、
あの戦争については、
個人的にもまだまだ
整理しなければならないことが多い。

さあ今日も、確実に前進します。

==  2017.8.15 ==

  
  

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