徒然日記

18年7月8日 その3971『逢坂誠二の徒然日記』(5668)

今朝の函館もどんより曇っている。

路面は濡れているが
雨は降っていない。

昨日は朝から晩まで、
函館市内を走り回った。

朝の献血から、
夭逝した知人を偲ぶ会まで、
悲喜こもごもフル回転の1日となった。

今日も似たような時間を過ごす。

1)憲法を武器として

昨日、映画監督の稲塚秀孝さんにお会いした。

稲塚監督は2013年に
佐藤泰志をテーマにした
「書くことの重さ」の上映会でお会いして以来、
時々やり取りをしている。

今回は、恵庭事件を題材にした
新作「憲法を武器として」の上映会のための来函だ。

恵庭事件は、
昭和37年に自衛隊法違反で訴えられた
酪農家兄弟と国との争い。

裁判の争点は自衛隊の違憲性。

映画では、残っている記録から、
法廷での原告と被告とのやり取りが鮮明だ。

傍聴席からのヤジも記録からの再現だという。

裁判官が逡巡する雰囲気も垣間見える。

判決は、被告である酪農家兄弟は無罪。

裁判所は公判中に
違憲立法審査権にも言及していたが、
最終的には憲法判断を回避する。

裁判の最終盤で、
裁判所が憲法判断すると期待されたが、
弁護団の期待を裏切って
判断を回避するという肩透かし判決をする。

40回に及ぶ公判では、
自衛隊が違憲か合憲かが
繰り返し議論されたにもかかわらずだ。

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映画全体から受ける印象は、
今の議論とあまり変わらないことだ。

国は核心を外しながら
のらりくらりとした対応に終始する。

被告を小馬鹿にしたような
高圧的な態度を取る場面も今と一緒だ。

そして結局は、裁判所は憲法判断を避ける。

敗訴した国が小躍りし、
勝訴した被告が落胆する結果となる。

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判決を言い渡した裁判長の次女が、
判決から50年後に語った。

「上から、確か最高裁、
憲法判断は回避せよとのお達しがあった」

こんな事実が語られた。

この真偽は、今も裏が取れない。

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議論すべきときに徹底的に議論しない。

論点をすり替える。

この繰り返しが日本の戦後だったのか。

こんなことを感じさせる映画だ。

どんなに批判があろうとも、
議論すべき点を曖昧にしたり、
解明すべき問題を先送りしたりすること。

そうすれば後世に禍根を残すのは間違いがない。

そんなことは絶対に避けねばならない。

さあ今日もぶれずに曲げずに、
確実に前進します。
==2018.7.8==

  
  

皆様のコメントを受け付けております。

  1. 人がいないと国は成り立たないのだから
    人がいるから国がある。
    それなのに、国のために人を犠牲にすることが
    正義だという論法がまかり通る世の中だから
    おかしなことが起こるのだと思います。

    西日本を襲った大雨による被害に心が痛みます。
    今だけの豊かさを求めて、自然災害が発生したら手の施しようがない危険な原発や戦争に備えた武器購入にお金をかけるよりも、自然災害に対応する為の道路や土地整備のためにお金をかけてほしいと普通の国民は思っていると思います。

    逢坂先生は函館を飛び回っていらしたのですね。
    私はほぼ引きこもりでした。明日からは殻から出て活動します。
    それではおやすみなさいませ。

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