徒然日記

18年8月9日 その4003『逢坂誠二の徒然日記』(5700)

函館の朝の気温は20度。

雲が多く、極弱い雨。

夏の盛りが一気に去った印象だ。

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昨夜、沖縄県の翁長知事が亡くなった。

沖縄のために、そして日本のために、
命をかけて戦った偉大な政治家だ。

心からご冥福をお祈りします。

1)サハリン

昨日、サハリン日本人会の白畑会長、
日本サハリン協会の斎藤会長らと面談した。

終戦や終戦直後の樺太のことや
今のサハリンの日本人の状況がどうなっているのかは、
あまり今の日本に住む国民には伝わっていない。

また終戦後サハリンに暫く在住後、
時間が経過してから帰国した日本人の方も少なくない。

これらの方々の日本での生活は、
言葉の問題などもあり、
困難を伴うものだったが、
こうした実態もあまり多くの人に
知られているわけではない。

戦後のサハリンの日本人を取り巻く状況を
知る人も高齢化している。

そうしたことを
聞き取りできる時間は限られているうえ、
各種の資料を体系的に分析し
保管する作業も進んでいないという。

昨日の懇談では、
こうしたことについて意見交換をした。

以前も記したが、
私の父は、昭和6年に
樺太で生まれた、戦後の引揚者だ。

伯母の一人は、樺太から
「小笠原丸」で帰国の途についたが、
留萌沖で国籍不明の潜水艦に攻撃され
17歳で亡くなった。

さらに叔母の一人とその子、
つまり私のいとこは、
終戦後の樺太でロシア戦闘機の
機銃掃射に撃たれて亡くなったという。

この意味で私と樺太の縁は深い。

私はまだ樺太を訪問したことがないが、
昨日の懇談も踏まえつつ、
関係者の皆さんと協力しつつ、
私でやれることは精一杯力を尽くしたいと思う。

さあ今日もぶれずに曲げずに、
確実に前進します。
==2018.8.9==

  
  

皆様のコメントを受け付けております。

  1. 樺太は終戦を受け入れないソ連軍によって終戦後に酷い状態になりシベリアに捕虜として連れていかれた方もいるとききます。
    逢坂先生のお父様達も命がけで引き揚げてきたのですね。語りつくせないご苦労をされたことと思います。叔母様が17歳で命を落とされたとは痛々しい限りです。
    戦争の傷跡は根深く残っていますね。
    戦争の悲惨さを学ぶことは平和を学ぶことでもあると思います。
    ここが日本の教育に欠けているという気がします。
    私は小学校の時に学校の図書館に入り浸りでした。
    小学校3年生の時に読んだ「ひめゆりの塔」の衝撃は今でも忘れられません。
    戦争が怖くて怖くて仕方がありませんでした。
    また、図書館で小学6年生の時に朝鮮からの強制労働者の話を読んで、その内容に驚きました。
    現実を知ることは大事な教育だと思います。
    ちなみに私のお母さんは昭和9年生まれです。私は高齢出産で生まれたので、私のお母さんは今、84歳です。時々軍歌を歌ったり、出兵する兵隊さんを見送ったら白木の箱で帰ってきたという話を繰り返しします。戦争の記憶は平和な暮らしになっても脳裏にこびりついているようです。それだけ特殊な環境だったのでしょうね。
    それではおやすみなさいませ。

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