徒然日記

20年2月17日 その4560『逢坂誠二 の徒然日記』(6257)

昨日は、立憲フェス(党大会)のため
日帰りで上京となりました。

帰函の飛行機が吹雪のため
羽田へ引き返す条件付離陸。

何とか着陸ができ、
割烹調理師会の四條公祭に出席しました。

今朝は街頭に立つ予定でしたが、
強風のため中止です。

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安倍内閣の支持と不支持が逆転し、
安倍内閣が出鱈目であることが、
少しずつですが広がって来た印象です。


公文書をはじめ情報を蔑ろにすること


法律や憲法を改正をせず、
政権の都合で解釈を変更し強行すること


国民主権ではなく自己中心であること

他にも出鱈目な理由はたくさんありますが、
代表的なのはこの三つだと私は思います。

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情報は民主主義を動かす原動力です。

適時、適切な情報の存在が、
主権者である国民の判断や行動の源泉です。

情報がなければ国民は問題意識を持つことも、
行政のあり方を判断することもできません。

逆に不適切な情報の流布が主権者の判断を誤らせます。

第二次世界大戦の大本営発表がその典型でしょう。

安倍内閣の手口はまさにこれです。

何か問題が生じ、指摘を受けると、
その情報を隠蔽します。

桜を見る会では隠蔽ではなく
名簿が廃棄されました。

また存在する招待リストの一部が、
黒塗りではなく白塗りで公開されました。

これは公文書の改竄です。

加計学園問題のときも
官邸への訪問者記録が葬り去られました。

加計学園をはじめとする国家戦略特区は、
私には出鱈目の極みに見えます。

会議への出席者や
何が正式な会議なのかがよく分かりません。

つまり会議そのものを改竄し、
捏造している可能性が高いのです。

このことを毎日新聞が追及していましたが、
あるときから全く報道されなくなりました。

会議の内容を記した議事録が公開されません。

時折、議事概要が公開されますが、
その概要が正しいのかどうかが分かりません

厚生労働省の勤労統計にまつわる疑惑の際も、
ほぼ似たような構図でした。

安倍政権では、
公文書などの隠蔽、廃棄、捏造、改竄が
常習化しているように思われます。

この主原因は、
内閣で行われる不適切な行為を
主権者に知らせないために
行われていると思われます。

こんなことは証拠がないだろう
と指摘する方がおります。

国民や国会は、警察でも探偵でもありません。

国民や国会は行政がきちんと仕事をしているか
それを知る権利があり、
行政にはそれを説明する責任があります。

コトは単純です。

行政が議事録、会議の出席者、
官邸で総理や秘書官が誰と面談したかなどを
公開すれば済む話なのです。

探偵さんのようなことをして
隠された書類を探索することは、
国会議員が本来行う仕事ではありません。

情報の扱いについて、
安倍政権は出鱈目です。

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国家公務員の定年制度を制定した1981年当時、
人事院は、
検察官には定年延長を含む定年制は
適用されないと、
説明していました。

ところが今回、閣議で
特定の検察官の定年が延長されました。

「できない」と言っていたものを
「やってしまった」のです。

それならば、
なぜできたのか説明が必要ですが、
閣議直後には何の説明もありませんでした。

今になって政府は、
「解釈を変更した」と言い始めましたが、
これでは立法府無視です。

法律上「できない」ものを
「できるようにする」からには、
国会に説明し、
法律改正するのが当然です。

こうした内閣の横暴に対して、
人事院も法制局も無力、
内閣の言いなりです。

誰もが内閣の暴走を止められない状態になっています。

安保法制も憲法を改正せず解釈の変更を行った点で、
今回のことと同様の罪深さがあります。

ところで検察官には個々人に
差異を認めない原則があります。

A検察官は厳しいが、
B検察官は寛容だではダメなのです。

どの検察官も金太郎飴のように
同様の振る舞いをすることが求められます。

検察官個々人の考えや思いによって罪に差が出るようでは
国民は安心して生活をすることはできませんから、
当たり前と言えば当たり前のことです。

だから個人に着目をした定年延長などは
有り得ないというのが基本的な考え方です。

それにも関わらず、
今回は個人の検察官に着目して、
定年を延長しました。

こうした特例中の特例に関しては、
国民に念入りに説明する必要がありますが、
人事に関することだから説明できないと、
総理は逃げ回っています。

これを出鱈目と言わずなんと言うのでしょうか。

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自己を捨ててでも国民のために働くのが政治家です。

経営者の皆さんは、経済活動を通して、
株主、従業員、会社の利益を追及します。

利益を無視し、奉仕だけを行う経済活動はあり得ません。

政治家は、それとは逆の存在です。

内閣の支持率が高いことや、
総理自身への評価が高いことは重要なことです。

私も内閣の一員なら内閣支持率や
自己への評価が高いにこしたことはありません。

しかしそれだけに拘って、
国民が不幸せになったのでは意味がありません。

政治家の究極の役割は国民の命を守ることですが、
一人ひとり1億2千6百万人の国民が
生き生きと輝いて生きることが重要です。

そのことが最終的に国全体の
経済活動や国のあり方を元気にします。

安倍総理は、内閣の実績は随分と喧伝します。

かつての政権を悪夢と貶めることには熱心です。

しかし個々の国民生活がどんな塩梅であるのか、
全国それぞれの地域がどんな状況であるのかに
関心があるようには見えません。

関心の中心は、内閣や総理自身の
実績、あるいは評価です。

確かにそれは重要ですし、
繰り返しますが私もその立場になれば
重視するはずです。

しかしそだけではダメなのです。

個々人が幸せであるのかを
確実に確認することが必要です。

今だけではなく将来の日本人が、
より成熟し高貴な存在になるために
力を尽くすのが政治家の役割です。

こうしたことを実現するためには、
内閣や自分の評価だけを気にしていてはダメなのです。

自分を捨てて、自分の評価が落ちようとも、
そのためのやるべきことは何か、
それを考える必要があるのです。

その一つが、ありのままの行政の姿、諸活動を、
良くないことも含め国民に残すとことです。

この点、安倍政権が全くダメなのは、
冒頭に述べたとおりです。

情報をキチンと公開すれば、
内閣や総理自身に批判が集まるかもしれません。

しかしそのことで、国民が幸せになり、
将来、国民がより進化できるなら、
政治家はその道を取らねばなりません。

自分を捨てる、国民のために身を捧げる、
その意味の一つがここにあります。

安倍総理の行動を見ていると
今だけ、自分だけ、金だけに見えて仕方がありません。

将来をみすえ国民のために、
真の豊かさと国民の進化を求めて、
自分を厳しい状態に晒す姿勢が、
安倍総理には欠如しています。

今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。

===2020.2.17===

  
  

皆様のコメントを受け付けております。

  1. 安倍総理は、ほんとに自分の事しか考えていません。自分を守るために言いたい事を言って、周りがどれだけ迷惑しているか、わかっていない。今日の国会で、今度はホテルが総理に合わせた事を言わないといけなくなります。桜を見る会ってテレビで放送されているからテレビに映ってもかまわない人が参加されていると思うんです。参加できる、招待されることは光栄な事だと思っていたけど名簿を公開されると困る人がいるっておかしいですよね。個人情報保護法みたいなのは関係なくて名簿を公開してもいいと思うんです。あのお酒って税金でしょう。私たちのお金でお酒飲んで、公開しないのはおかしい。寒い中、暑い中、働いて納めたお金で堂々とお酒を飲む。被災して家もない人がまだいるし、家の修理もできていない人もいる。桜を見る会なんて中止してそのお金を被災地にって思わない総理なんて全く国民の事なんて考えていない。支持率って1500人位じゃわからない。全国民に聞いてほしい。でも、国民や国会議員が何を言っても聞く耳を持っていないですね。私に責任がありますって言って全く責任をとらない事も追及してほしいです。

  2. 最近、総理入りの国会を見るのがシンドくなってきました。大事なものを踏みにじられているような感じがするからです。

    > 自分を厳しい状態に晒す姿勢が、
    安倍総理には欠如しています。

    安倍さんは「責任」をとらないですね。何を突きつけられても絶対に認めないのに驚きます。
    内田樹さんが著書の中で『「俺が責任を取る」と宣言する人間が一人もいない場所では、そもそも「責任という装置」そのものが働かない。だから、決定が下せない。仕事が進まない。』
    と書いていて、これはそのまま今の政府に当てはまるような気がしました。

    隠蔽も改竄もできないウイルスを相手に右往左往する様子を見ていると、やっぱり危機管理ができないのだな、と思うと同時に不安にもなります。
    (大流行になったら診断してもらえるのか、治療薬はあるのか、はたまた、ボブ・ディランは来日しないんじゃないか…など)

    > 自分を捨てて、自分の評価が落ちようとも、
    そのためのやるべきことは何か、
    それを考える必要があるのです。

    逢坂さんが以前、町長時代の経験をもとに、政治家の決断について話をされていたのを思い出しました。

  3. 法解釈の変更という重大な事案にも拘らず「『口頭決裁』をしたから問題ない」、こんなことが法律の元締めである法務省でまかり通っているとしたら、国民の行政機構に対する信頼は根底から崩壊です。

    会計検査院の検査の場で、文書がなく「口頭決裁で処理していました」なんて言う答弁をして、それを了としてくれるのでしょうか。
    「法務省で口頭決裁がまかり通っているのだから、うちも口頭で了解・決裁することにしました」というようなことが国県市町村の行政機構をはじめ、企業その他ありとあらゆる組織団体に蔓延したらと思うとゾッとします。

    森法相に対する不信任案は否決になりましたが、改ざんし破棄し法解釈をいとも簡単に変え、各省庁のトップに立つ官僚人事を一手に握り、意のままに国を動かす、独裁国家かと見間違えるような振舞いを続ける現政権と物言えず自浄能力を放棄しているかに見える与党に、もっともっと厳しく立ち向かってください。本を正せば我々国民がこうした政治情勢を作ったわけですから、世論調査の時だけでなく選挙時にその思いをぶつけなければ。

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