徒然日記

22年3月7日 その5309『逢坂誠二の徒然日記』(7006)

昨朝は寒さと雪に怯んで、朝の散歩をさぼりました。

あの程度の低温と風雪に負けるようじゃダメですね。

怯む(ひるむ):恐れて気力が弱まる。気持ちがくじける。

こんな意味ですが、割と好きな言葉です。

昨夜、上京し今日は都内での朝です。

夜明け前の気温は3度程度です。

1)羽生三七さん

いつもお世話になっている方から教えて頂き、羽生三七さんの記事を読みました。

昨日の朝日新聞のコラム「日曜に思う」です。

羽生三七さんは、1947年第1回参議院選挙で初当選し、
それ以来5期連続30年間、社会党の参議院議員だった方です。

良識の府といわれる参議院の良心と呼ばれた論客だったとのことです。

==以下、記事からの抜粋引用==

質問は、「爆弾質問」といったマスコミをにぎわせる派手さとは無縁。
将来の事態を予測して政府に警告し対応策を提起する質問スタイル。

岸田文雄首相は「聞く耳」を唱え、立憲民主党の泉健太代表も「提案型」を提起するが、
それなら今日のウクライナ危機はまさに、立案と警告を出し合って
与野党が対応策を練り上げるべき事態である。

羽生が残した真の教訓は何か。
安全保障問題を例に「社会党の主張なら100%日本は安全、
政府の主張は100%誤っているという性質のものではなく、
どちらの政策により安全性があるかという相対的な比較の問題である」とした。

それが試行錯誤を経た上での羽生の到達点であり、質問スタイルはその表れだったろう。
地に足のついた異議申し立てこそが、旧来の発想から抜け出して
合意形成を図る道をもたらすに違いない。

==抜粋引用、終了==

耳目を集める予算委員会の質問を私は否定しません。
国民の皆様に知って頂き、関心を高めるためにはいわゆる「爆弾質問」も大切なことです。しかしそれだけでは不十分です。
羽生三七さんのように、地に足の付いた丁寧な質問がやはり王道なのだと思います。

今、世界が、日本が揺れています。

防衛力の強化、核共有、原発再稼働など、勇ましい議論が鎌首をもたげています。

野党の一角が崩れ大政翼賛化への懸念が顕在化しています。

このような時こそ、羽生三七さんのように、
将来の事態を予測して政府に警告し対応策を提起することが重要です。

それができるのは政権への健全な対抗勢力しかありません。

2 )ここまでやるか

一昨日、プーチン大統領が、ロシア軍の活動に関する報道や情報発信のうち、
ロシア当局が「フェイクニュース」とみなした場合に、
記者らに対して最大15年の禁錮刑を科せる法案に署名しました。

内容がまだハッキリしませんが、

*対ロ制裁を科すよう外国や国際機関などへの呼びかけは禁止
*ロシア人だけでなくすべての人が対象

なども含まれるようです。

こうなれば、国外のメディアも活動できませんし、
国内のデモも不可能になるかもしれません。

表現の自由は極めて大切な人権です。

表現の自由は優越的人権と位置付けられて他の人権とは一線を画しています。

その理由は、表現の自由が侵害されると、
自分の思い、意見を訴える手段が暴力しかなくなり、
民主主義が機能しなくなるからです。

今回の法的措置を聞き、ここまでやるかという、絶望的気持ちが強いのですが、
こんなことで本当にロシアそのものが国家として持ち堪えられるのでしょうか。

プーチン大統領の今回の一連の判断には、
ロシアを守りたいという意図があるのだと思いますが、逆効果になる気がします。

さあ今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2022.3.7===

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皆様のコメントを受け付けております。

  1. おはようございます。

    羽生氏の遺訓のようなものですね。
    ー 羽生が残した真の教訓は何か。
    安全保障問題を例に「社会党の主張なら100%日本は安全、政府の主張は
    100%誤っているという性質のものではなく、どちらの政策により安全性が
    あるかという相対的な比較の問題である」とした。ー

     しかし、野党が「提案型」議論をするという事は、提案にあたって、大小
    さまざまなデータを元にした課題の抽出と問題の設定を行い、その問題への解法を
    示すことだと思います。ここで野党の大きな劣勢は、最大のデータバンクである
    官僚組織を「配下」に置いているのは、与党だという事です。今、「提案型野党」など
    と言われている話の中には、この点を失念している議論が多いのではないですか?

     さしずめ、玉木国民民主党党首を筆頭に、国民民主党の官僚出身の国会議員は
    みんなそうした間違いを犯しているように思います。与党の掌で踊るみっともない姿
    を鏡に映してみるべきだと思います。彼らは、自らが官僚であった時の、一種の
    「全能感」から脱することが出来ていないのでそう。もう、官僚組織の外の人間、
    「完了」した人間であるという事を忘れているのではないでしょうか?

    こうした錯覚を基に、「提案型」などと言い募るのは、愚策の見本のように思います。
    立憲民主党の泉代表にはまだそこが見えていないと思います。首相補佐官として政府中枢で
    働いた経験のある逢坂さんなら、与党であることによる「力量」と野党であるこによる
    「力量」の違いを、よくお分かりの事だと思います。与党の掌に乗る野党は無い方が
    増しだという事を代表に解く必要があるのではないでしょうか。

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