徒然日記

22年8月23日 その5478『逢坂誠二の徒然日記』(7175)

夜明け前の東京の気温は25度です。

空に雲がありますが青空も見えます。

一時の激しい暑さは峠を越えて、まさに処暑、そんな雰囲気です。

日中は32 度と報じられています。

1)原子力
ウクライナ戦争や円安、さらに温暖化対策、
こうした中、原発再稼働の声が高まっているようです。

さらに新増設やリプレースの声も少なくありません。

規制委員会の審査も効率化などと称して、
期間を短縮したい方々も多いように思います。

諸々ご意見はありますが、他国の情勢は別として、
日本では原発に関し、特殊事情があります。

2011年まで、過酷事故が起きないことを前提に
原発立地を進めたことが、一つの問題です。

このため確実に機能する避難計画が策定できるかどうか、
それを検証もせずに立地を決めました。

これは極めて乱暴なことです。

私がニセコ町長時代に、泊原発の事故に備えるため、
避難計画策定に着手しようとしたところ、
事故が起きないのに計画策定すれば住民の不安をいたずらに煽ることなどを理由に、
避難計画の策定を北海道からやんわりと止められたことがありました。

しかし2011年3月以降、日本の原発でも過酷事故が起こることを政府は認め、
今は原発から30キロ圏内のいわゆるUPZ 内自治体に避難計画の策定を義務付けています。

かつて計画策定を止められたニセコ町も、今は避難計画策定を義務付けられています。

ニセコを含む泊地域も、一応、新しいルールのもとで避難計画を策定しました。

あの地域に40年余り暮らした私の実感から判断すれば、
その計画はとても機能する計画には見えません。

計画の中では、バスで避難することも想定されていますが、
万が一の際にそのバスが揃うとは思われないのです。

事実、今年、北海道新聞がバス会社に対して行った聞き取りでも、
計画通りバスが揃う結果ではありませんでした。

ニセコ地域には、冬も多くの観光客が訪れますが、
これらの皆さんに対する、具体的な避難手順も明らかではありません。

こうした不十分な計画であっても
政府は稼働の前提条件の一つが整ったとしているのです。

3.11 後も真の意味で国民の安全を守ることを絶対条件として、
原発政策を進めている訳ではないのです。

これが日本の原発行政の現実です。

1984年、アメリカNY州でショアハム原発が完成しました。

しかし避難計画などに疑問が呈された結果、
1989年にその原発はただの一度も使うことなく廃炉になりました。

こうした判断をする政府なら信用ができます。

しかし日本の政府は、前述した通り、
本当の意味で安全を追求しているとは思われません。

アメリカ政府のように、避難できないなら廃炉にするという、
真に国民を守るという覚悟が必要ですし、
こうした政府のもとでの原発稼働ならば、一定程度の信用ができます。

安全確保こそが、最優先のはずなのですが、
それを脇に置いて稼働を急ぐ政府を私は信用することができません。

さあ今日もブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2022.8.23===

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