徒然日記
23年5月5日 その5732『逢坂誠二の徒然日記』(7429)
夜明け前のニセコは、空全体に薄めの雲が広がっています。気温は 9度でヒンヤリしています。日中も曇り20度になる見込みです。今日、ニセコから帰函します。こどもの日です。
1)2020年からの警鐘
ニセコの本棚で『2020年からの警鐘』(日本経済新聞社)を見つけました。 1997年元旦から日本経済新聞の朝刊一面で「2020年からの警鐘」という連載企画をまとめたのが本書です。これらのことには、過去にも何度か言及しています。
元旦の朝刊特集記事には「東京には死相が漂う」として、東京・谷中の墓地の写真が添付されました。「正月早々、縁起でもない」など、日経には相当な批判が寄せられたと言いますが、この企画は以下のように第八章まで長期連載されます。
第一章「日本が消える」
第二章「たそがれの同族国家」
第三章「疾走する資本主義」
第四章「漂流する思想」
第五章「『教育』が見えない」
第六章「『技術立国』の幻」
第七章「未来への創業」
第八章「『終わり』からの出発」
ニセコ町長時代は、5時過ぎに役場に出て新聞各紙に目を通してから日記を書くのが日課でした。その中で、この日経の記事は私の問題意識を共有できる貴重な内容でした。しかし元旦の墓石に限らず、日本の現状と将来を悲観的に捉える記事内容にも批判が多かったと言います。景気は気持ちのあり方が大事であるにも関わらず、日本を代表する経済紙が、後ろ向きな記事を書き続けることに、経済関係者は特に顔をしかめていたと言います。
私は、あらゆる分野において良い面、悪い面も含め現状を確実に把握することなしに、将来への処方箋は書けないと考えていますので、そうした経済関係者の雰囲気に違和感を持っていました。
昨日、ニセコで、改めて『2020年から警鐘』を手にして思うのは、この26年間、この警鐘をまともに受け止めて来なかった愚かさです。もちろん特集記事には的外れな指摘もあったと思います。しかし1997 年当時、「今、改革に手をつけないと、2020年には日本は世界から取り残されてしまう」との指摘は間違っていませんでした。今まさにそうなっているのです。
この局面に至って、何か一つのことをすれば、状況が一気に好転するような魔法の杖はありません。中長期的視点での着実な取り組みが必要です。教育、エネルギー、1次産業などに力点をおいた政策を進める必要があります。それには我慢が必要です。褌を締め直して進まねばなりません。
さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2023.5.5===
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lin.ee/eDi8g6I
こんにちは。
日経も1997年当時は真面だったんですね。
この中で次の3つの章は見事にリンクしているのではないかと思います。
第四章「漂流する思想」
第五章「『教育』が見えない」
第六章「『技術立国』の幻」
私自身は読んでいないのですが、もしかして、この中に、大学改革に
関わる記述があったのではないでしょうか? もし記述があったとすれば、
2004年の国立大学法人化の芽はこの時期からあったという事ではないか
と想像します。
ものの見事に失敗ですが、文部科学省の背後にいた自民党文教族、経済人たち
の責任は大きい。彼らが根本的に間違っている最大の点は、「一番病」。
学問の世界でも、トップを伸ばせは全体が伸びると言う錯覚。経済界では、
ガリバー企業が出来れば、他は疲弊し消えていくのが世の常。彼らが
それに気づかないはずがないのですが、何故、そうした方向へ「改革」を
奨めたのか。まるで、分かりません。実は、世のかなが見えていないと
しか思えない。
今後一層、教育に関る課題の解決は、少子化と並んで、国の根幹を揺るがす
大問題となるでしょう。政治に期待するととともに、諦念とも言える気分から
抜け出ることが出来ないのも、また昨今の気分です。
うらべ
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(追伸)先日、「投稿」したはずの稿が消えてしまったので、私が操作ミスを
したのであろうとは思ったのですが、他に何か、消えてしまう原因があるのでしょうか?