徒然日記

「政治は公共心と聡明さを増進させる実践教育」/逢坂誠二 #7537

【23年8月21日 その5840『逢坂誠二の徒然日記』 #7537】 昨日、朝から函館市内を回り、午後の便で上京しました。夜明け前の都内の空、多少雲はありますが、晴れの雰囲気です。朝の気温は26度。日中は34度、晴れ時々曇りの予報です。
1)政治は公共心と聡明さを増進させる実践教育 日本で初めてコロナ感染症が確認されてから3年半ほどが経過しました。この間、私たちは、色々なことを体験し、色々なことを知ることになりました。この春、コロナ感染症が2類から5類に変更になったこともあり、私たちの社会活動も随分と以前の雰囲気を取り戻しつつあります。昨日も函館市内で、いくつかのイベントを回り、市民の皆様の声を聞かせて頂きました。
小さな子どもと一緒の家族連れ、カップル、高齢夫婦、若者グループなど、様々な人たちがイベントを楽しんでいる姿を見ていますと、日常が戻りつつあることを改めて実感しながら、当たり前であることの幸せさを痛感します。今日本が直面している様々な危機に思いを巡らせると、より一層、この幸せな日常を確実に守るその覚悟を強くしています。
多くの皆さんと、今、直面している危機を共有し、その解決のためにまなじりを決して立ち向かって進むことはとても大事なことだと思います。しかし昨日のような幸せな日常を見ていると、その危機についてお互いが学び、その内容を深く知ることがどの程度必要なのか、疑問にも思われてきます。何もそんな危機を伝える必要もない。知りたいと思う方が自発的に危機を知れば良い。政治家は幸せな日常を守ること、それに専念すれば良い。そんな気持ちにもなります。またネットを中心とする、政治、いや私に対する悪口雑言を見ているとやるせない気持ちにもなります。
しかしやはり思うのです。政治とは、国民の「公共心」と「聡明」を増進させる「実践教育」です。単に幸せな日常を守ることだけが政治の役割ではありません。国民は何も知らなくて良い。あとは政治がうまく捌けば良い。これでは衆愚政治になってしまいます。
コロナの3年余を経て、市民の皆様の幸せそうな姿を見ていると、余計なことはする必要がないとの政治の役割を忘れた声に惑わされそうになります。政治の実践を通して、政治家も国民もともに、公共心を高め、賢くなること、このことを忘れた政治は、政治ではないのです。今の危機的な状況も共有しつつ、それを乗り越える道を歩んで参ります。
さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。 ===2023.8.21===
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