徒然日記

6月13日 その2120『逢坂誠二の徒然日記』





昨日は、帯広での小川参議の集会に出席
し、

夜遅い列車で札幌入りしている。



今朝の札幌は、快晴だ。



今日は、午前のうちに函館に戻り、

午後からは小川参議と一緒に桧山管内を回る。



夜は江差町での小川参議の国政報告会に

私も出席する予定だ。







1)ボール

プロ野球で使われている統一球が、

今季からやや飛びやすくなるように

仕様が調整されていた。



問題なのは、

この調整が秘密裏に行われていたことだ。



日本野球機構らが、

各球団と選手会にも説明しなかったこと。



ボール製造のミズノ社にも

「調整したことは公表しないでほしい」

と要請していたこと。



この二つの事実を聞いて、呆れてしまった。



どうしてこんな判断になったのか。



選手もファンも置き去りにして、

何かメリットでもあるというのだろうか。



最近、さまざまな組織や団体が、

まともな対応、判断ができていない、

そんな現実に直面することが少なくない。



なんのために活動をしているのか、

本来の目的を見失っているのだろう。



他山の石としなければならない。







2)憲法議論

雑誌「Voice7月号」の安倍総理のインタビューを読んだ。



何とも危うさを感ずる。



インタビューの中で、

総理は次のように述べている。



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「「大事なのは第96条の改正ではなくて、

憲法自体の中身である」という指摘をいただきました。

私はまさにその議論を待っていたのです。

「中身が大事」というのであれば、

ではあなたの考える「中身」はなんですか、ということです」



====



96条を改正すべきとの主張は

総理の真意ではないかの雰囲気に読みとれる発言だが、

逆に、一気呵成に中身の議論に入ることを示唆している。



憲法を擁護し尊重する義務を負う総理として、

こうした発言をすることは妥当とは思われない。



改憲、護憲、その他憲法について、

色々な議論があって良い。



しかし総理として行うべきは、

国民の憲法に対する理解を深めることではないのか。



総理自身が、96条発言を隠れ蓑にして、

どんな中身の憲法が良いのか、

つまり改憲を煽ることは適切ではない。



さらに引き続いて、総理は次の発言もしている。



====



「憲法を国民の手に取り戻すという意味において、

衆参で三分の一をわずかでも超える国会議員が阻止すれば、

多くの国民が変えたいと考えていても改憲できないのはおかしい」



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前の発言で、

96条改正が真意ではないかと思わせるような発言をしているが、

結局のところ96条改正に戻った発言をしている。



しかしこの「国民の手に取り戻す」との発言は曲者だ。



96条の三分の二の規定は、国民に関する規定ではない。



権力の多数派を抑制し、

少数意見を尊重する意味の規定と私は理解している。



権力を抑制する規定を逆手にとって、

権力の抑制を緩めれば、

憲法が国民の手に戻るというは詭弁だ。



====



国民投票、住民投票には、

様々な側面があることを、

総理が理解しているのか、

極めて疑わしい。



国民投票は、

主権者である国民の意思を問うものであるのは確かだが、

これにはもう一つの側面がある。



一時的、熱狂的に人気のある権力者が、

国民投票を利用して、

自分の権力を正当化させる手段として使うことも可能になることだ。



ここが実は、直接民主主義の留意点の一つなのだ。



====



権力者は、主権者である国民に対して、

十分な情報を提供すること、

多様な議論の機会を確保することなどを通して、

主権者が主権者としての立場を

十分に発揮できるよう配慮しなければならない。



その上で、虚心坦懐に、主権者の意思を聞かねばならない。



よもや間違っても、

加熱した民意を利用して、

あえてあまり深い議論をさせずに、

一時的な勢いのようなものの中で、

主権者に判断頂くことをすべきではない。



しかし、世界の歴史の中では、

熱狂的な民意を良いことにして、

十分な議論をさせずに、

見かけ上、合法的に這い上がった独裁者がいることも事実だ。



権力者たるもの、政治家たるものは、

こうした状況になることを避けねばならない。



意味、内容のある議論を数多く行い、

主権者である国民が確信のある判断ができる環境を、

如何に生み出すかが重要なことなのだ。



つまり直接的に民意を問う機会が多いことが、

必ずしも良い訳ではないことも理解しなければならない。



憲法改正発議の三分の二規定は、

一般論として十分な議論や

説得がなければ乗り越えられない場合が多い。



この十分な議論や説得が、

主権者である国民に対する、

判断材料の提供や

熟考の機会を与えることにも繋がるのだと思う。



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また大多数の国民が、憲法を変えたいと望むのならば、

三分の二条項の存在があろうがなかろうが、

そうした声を国民の多くが発することで

国会に影響を与えることは可能なのだろう。



三分の二条項があるからといって、

国民から憲法を奪っているかような指摘は、

当たらないものと思う。



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総理のインタビューを読んでいると、

憲法に限らず、経済なども

あまりにも単純に物事を発信し過ぎて、

そこに得も言われぬ危うさを感じている。







3)腱鞘炎

昨日、私の腱鞘炎のことに言及したところ、

多くの皆さんから

治療方法や専門医に関するアドバイスを頂いた。



心から有り難く思っている。



しかし、安静とは程遠い状態になっており、

ちょっと悩ましい状態が続いている。







さあ今日も、しっかりと前進します。

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     2013・6・13 Seiji Ohsaka


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