徒然日記
7月1日 その2138『逢坂誠二の徒然日記』
都内は雲の多い朝を迎えた。
今年も前半を終えて、7月に突入だ。
時の流れは早い。
今月は参院選挙対応が中心の動きとなる。
朝の気温は23度、日中は28度の予報だ。
1)経済と政治
以前にも書いたが、
国民の皆様に、
政治や政権に何を期待するのか、
との世論調査等を行うと
「景気回復」などの経済の向上を望む声が多い。
今回、安倍政権は、
当面は経済を中心に政策を展開するという。
だから、国民の支持率がとりあえず高いことは理解できる。
====
しかし、経済の調子が良くなれば、
本当に国民は幸せになれるのだろうか。
あるいは、国民の皆様が望む、
景気回復や経済の向上とはいったい何なんだろうか。
====
政治の役割は、色々あろうが、
例えば次の三点に整理することも可能だ。
・国民を飢えさせないで幸せにする
・安全保障を確保する
・子弟を教育する
====
一方で経済は、
「財やサービスを交換する仕組み」のことだ。
経済の語源は、
「“経世済民”『世を治め、民を救う』」
という国家統治の枢要を説いた慣用句
(東晋の古典『抱朴子』(葛洪))」に遡る。
すなわち少なくとも日本語の「経済」は、
本来、政治の原点のような意味を持っていた。
しかし今の経済の目的は、これとは違っている。
現在の経済は、
・
商品やサービスから得られる効用の最大化(効用主義経済)
・経済規模(生産・消費,GDP,GNP)の拡大という経済成長、
こんなことが目的になっている。
経済の目的には、
必ずしも国民の幸福は含まれていない。
すなわち、
自分の会社や商売、
あるいは自分が投資する企業の業績がどんどん伸びて、
それによって利潤が上がって関係者は喜ぶことが多いだろうが、
関係していない方々の幸せを、
経済は、一般的には考える必要がない。
経団連など経済関係団体の皆さんが、
日本経済の規模拡大を望むことは、ある種当然のことだろうが、
その規模の拡大、規模の縮小など、その動き次第によって、
国民が幸せであるか、不幸せであるかについては、
必ずしも責任を負うものではない。
現代経済は、そこに道徳性というか倫理性は、
通常、含まれないことが多い。
つまり経済と政治は同一ではないのだ。
それゆえに経済が活性化したからといって、
必ずしも国民が幸せになる保証はない。
もちろん経済が元気になることは必ずしも悪くないことだが、
それは十分条件ではなく必要条件に近いものなのだ。
====
政治は、
経済を円滑に機能させるための基盤や
諸条件を整備する必要がある。
その一方で、 経済による歪み、
つまり不平等、格差などを政治が是正し、
国民の幸せを追求しなければならない。
なぜなら経済活動には、
その役割が必ずしも含まれていないからだ。
主に政治だけが、
経済の歪みを是正し、
国民の幸せを追求する役割を担っているのだ。
だから経済と政治が同一化することは危険だ。
政治は、経済の動きを、ある種、遠くから鳥の目で俯瞰し、
国民全体、あるいは個々人の幸せを念頭においた活動を
常にしなければならないのだ。
====
世論調査などで国民の皆さんが望む景気経済の活性化は、
個々人の生活が良くなること、個々人の収入が増えることだ。
その望みは、
企業収益の増大やGDPの増加だけでは叶えられない。
逆に企業収益やGDPの増大で、
不幸になる国民がいるかもしれない。
現在の、政治家である安倍総理は、
こうしたことを考えながら政権運営に携わっているだろうか。
私には、甚だ心もとない印象を受ける。
さあ今日も、しっかりと前進します。
=============
2013・7・1 Seiji Ohsaka
=============
マグマグの送信登録・解除はこちらです。
http://www.ohsaka.jp/magazin/