徒然日記

7月27日 その2530『逢坂誠二の徒然日記』





昨日は、黒松内から帰函し、
仲間の議員の皆さんと2度に渡って街宣を行った後、
さらに市内を歩き回った。

夜は、見付市議のビール・パーティーに出席をした後、
最終の特急で札幌入りした。

今日、早朝のJRで帯広に向かうためだ。

札幌の空は、雲が広がっている。

いつ雨が落ちてもおかしくはない。

道内は、大雨になる地域も多いようだ。

1)公文書の課題
特定秘密保護法は、施行されると、
物事の良し悪しが分からなくなる、
とんでも無い法律だ。

とにかく隠してしまえば、主権者である国民に対して、
半永久的に煙幕をはることができるのだから。

国民からどんなに批判を受けても、
施行さえしてしまえば、
権力者にとっては、
永久に嵐の吹かない隠れ場所ができるようなものだ。

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そもそも日本の情報管理や情報公開には、
根本的な問題点がある。

情報公開の基本は、いわゆる公文書なのだが、
この公文書の定義が曖昧なのだ。

この公文書のあり方を、もっと突き詰めねばならないのだが、
そこをあえて甘くして、その上に公開などの制度を積み重ねている。

だからどうしても、情報の開示が、主権者である国民にとって、
隔靴掻痒の感が強いものになってしまうのだ。

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大事なことは、
行政の諸活動をどう記録するかを突き詰めて議論し、
そのあり方を法律上明らかにすること。

さらに積極的であれ、消極的であれ、
意図があろうがなかろうが、
行政の諸活動の痕跡が記録されているものを、
どう扱うか、これについても突き詰めて議論すること。

その上で、行政における情報とは何なのか、
さらに公文書とは何かを定義することが需要だ。

そしてあくまでも公開を原則とすることだ。

日本の公的機関にかかる情報及び文書に関しては、
この出発点の議論があまりにも少なすぎる。

この出発点の議論を曖昧にしたまま、
どんなに公開制度議論しても、
その内容は脆弱なものとならざるを得ないのだ。

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一方で、特定秘密保護法が守備範囲にしているのは、
文書ではなく情報だ。

ここが曲者だ。

文書に比較し、
情報は文書も含むが
それ以外のものも含み範囲が広い。

つまり秘密保護は、広い範囲に投網をかけている一方で、
国民への公開は、極めて狭い範囲に留まっている。

だからこそ、情報や文書のあり方に対する議論が必要なのだ。

特に行政の諸活動をどう記録するかの議論を
徹底的かつ継続的に行って、
秘匿と公開の対象となるものを
同じレベルにしなければならない。

2)叛逆
俳優の佐分利信さんが監督を務めた映画『叛乱』を、
JRの長時間移動を利用してDVDで観た。

2.26事件を忠実に再現した1954年の映画だ。

これまでに2度ほど観たことがあったが、
軍事優先に傾く安倍施政のもとで、
軍事、あるいは武力の意味を再確認する、
そんな目的を持って丁寧に鑑賞した。

過日観た『日本でいちばんながい日』も同様の目的だ。

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行き過ぎた資本主義のもとで、
財閥は肥え太り、農山漁村は疲弊する。

青年将校たちの武力への妄信、
多面的にものごとを捉えられないあまりに単一的な思考。

今の日本の状況と似ているなどと、
短絡的に決めつけるつもりはないが、
それでもやはり青年将校たちの
あまりにも混ざり気のない無邪気とも言える思考回路は、
安倍総理の姿に重なって見えてしまう。

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落ち着き、熟慮、そして想像力、
今こそ政治家が真価を発揮すべきときなのだ。

さあ今日も、しっかりと前進します。
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        2014・7・27
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