徒然日記
7月29日 その2532『逢坂誠二の徒然日記』
占冠村の職員研修2日目の朝を迎えた。
標高600メートル付近に立地する
トマムのホテルの眼下には雲海が広がっている。
今日の北海道は、暑くなる見込みだ。
1)占冠村
占冠村は、私の地域づくりの先生だ。
占冠に注目が集まったのは、私の大学生時代。
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1981年:
石勝線開通。石勝高原駅(今はトマム駅)開業
(私は大学2年生。滝川経由の列車が激減する。)
1983年:
ホテルアルファトマムとスキー場開業
(私が、ニセコ町役場に就職。)
1989年:
トマム地域などがリゾート法重点整備地区指定
(私が、ニセコ町のリゾート法とヘリポート整備も担当する係長に。)
1998年:
施設の4割を所有するアルファ・コーポレーション自己破産。
占冠村が施設を買収、加森観光に運営委託
(私は、町長二期目。)
2003年:
施設の6割を所有する関兵精麦が民事再生法申請
2004年:
星野リゾートが関兵精麦所有分施設を買収。
以後、2005年まで、施設の4割を加森観光が、6割を星野リゾートが運営す
る二元体制
2005年:運営が星野リゾートに一元化
(私は衆院初当選)
2011年:
アルファリゾート・トマムから、星野リゾート トマムへ名称変更
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大学生の頃も含め、占冠には幾度もお邪魔した。
特に公共用ヘリポート整備、
リゾート法指定などで、占冠はニセコの一歩先を歩んでいた。
それらの勉強のため個人的に、
週末になると何度もニセコから車を走らせた。
公式に当時の担当課長らとともに占冠村役場を訪問して、
話を聞かせて頂いたこともある。
とにかく何度も何度も訪問したのだ。
バブル崩壊後は、
施設所有者や運営者が変わるなど、
経済の波にも翻弄されたがトマムだが、
現在は、星野リゾートに運営が一元化され、
連日、お客様で賑わっている。
昨夕も、台湾からのお客様などを中心に、
約2千人のキャパがほぼ満館だという。
4割の施設を未だに占冠村が所有する変則的な形ではあるが、
一時に比べると運営は安定しているようだ。
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リゾート法の指定を巡っては、私も担当係長として、
幾度も幾度も関係官庁と打ち合わせを行ったり、
会議を開催したりと様々な対応をした。
その際のお手本は、この占冠村を含む富良野大雪地域だった。
ニセコ地区は、
申請審査が長引くうちに社会情勢が変化し、
リゾート法指定のメリットがないとの判断をした。
当時の町長とも意見の相違はあったが、
法指定は意味がないとの主張をし、
結局、法指摘を受けることにはならなかった。
リゾート法を巡る様々な取り組みの中から、
利権や経済に翻弄される政治、それに対応する行政の動き、
地域エゴなど多くのことを学ぶことができた。
ヘリポートの建設も同様だ。
空港土木はおろか一般土木もズブの素人だった私が、
ヘリポート建設の担当に指名され右往左往した。
そのため幾度も占冠村を訪問して、
多くのことを学んだ。
この事業の中で、
国の補助事業の課題、
道と国の無責任体質、
官官接待の現実など、
行政の闇の部分をストレートに体験することになった。
これも今に繋がる貴重な経験だった。
占冠村と私の関わりは、
書き尽くすことはできないほど数多くのエピソードがある。
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こんな占冠村から今回、職員研修の講師を依頼された。
全職員をふた班に分け、
昨日午後と今日午前の二度、話をする。
ほぼ全職員が私の話を聞くことになる。
こんな研修は稀だ。
大学生時代から今に至るまで、
良いことも社会の不都合なことも含め
多くのことを学ばせて頂いている占冠村に、
少しでも恩返しができるよう、今日も心を込めて話をしたい。
研修終了後、帰函する。
今日は土用の丑の日だ。
テレビでは朝からウナギの話題で持ち切りだ。
私は、ウナギよりやはり蕎麦、麺類になるだろう。
さあ今日も、しっかりと前進します。
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2014・7・29
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